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 中学生になって読んだ本で、大好きなF-4EJの「遠慮」による不幸な経緯を知った私は、「何なんだこの国は。。。」と不安になった。専守防衛がどれだけ難しいかは、マニア少年なら分かる。なぜなら、攻撃力・命中精度共に優れる現代の兵器は、一発でも受ければ大損害を被る。東京ではなくとも、市街地に命中すればそれだけで大変なことになる。つまり攻撃側は「1発でも命中させることができれば」「勝ち」なのである。これに対して守備側は、当然「1発でも受ければ負け」なのである。相手が核兵器なら致命的だ。だから現代戦は攻撃側が有利なのであり、かつて言われていた攻撃側の兵力は守備側の3倍を必要とする「攻者3倍の法則」なる戦前の考えなど通用しないのである。専守防衛に妥協や遠慮はいらない。というのが昔からの私の持論だ。中学生の私が「爆撃コンピューター」を外されたF-4EJの経緯を知って落胆したことが理解いただけただろうか?日本はそんな国だったのである。もし、侵略者の上陸部隊が洋上を向かってきたら?上陸した侵略者から国土を守るには?ジェット戦闘機から目視照準で爆弾を落として効果的な攻撃ができるのだろうか?本当に国を守る気があるのだろうか。。。少年の不安は募るばかりであった。
 その爆撃コンピューターをF-4EJ改で「復活」させることになったと知った私は、もはや無意味な「遠慮」はしないのだと思ったのだ。が、結局は「遠慮」は変わっていなかったことを、先述のPKO携行武器の議論で思い知らされた。

 このように自国の防衛しかも専守防衛を謳いながらも自国に危険な「遠慮」をしてきた国家、おおよそ独立国家とは思えない「遠慮」と「自虐」の国、日本がその存在を守ってくれていた「9条」の解釈変更をして大丈夫なのだろうか?集団的自衛権の行使を可能にしたらその先には、戦闘を前提とした活動があるのではなかろうか?その時、毅然と行動できるのだろうか?
 日本の防衛に直結することならば、私は必要なことだと考える。守りは万全でなければならない。
 しかし。。。
 そもそも専守防衛のための自衛隊が海外で戦闘行為を行う可能性を帯びた活動を行うことに、何の意味があるのか?それは日本の防衛に本当に必要なことなのか?
 日本そして世界の平和のためになると言いきれる派遣ができるのか?アメリカなどの国益目的の活動に巻き込まれはしないか?沖縄をはじめ、多くの国民に負担を掛けながら在日米軍基地を提供し、「思いやり予算(今ではホスト・ネーション・サポートと呼ぶらしい)」という毎年2000億円の巨額の資金提供までしている日本が、アメリカのいいなりにならず自国の安全のために毅然とした行動をとれるのだろうか?同盟国だから、という理由で地球の隅々まで振り回されることはなかろうか?
 そして、何よりも私が言いたいのは、憲法を「自由度のある方向」に解釈変更するのであれば、国民投票による憲法改正が必須なのではないか?これを行わずに「憲法9条」を変えようとする政府に強い危機感を覚える。
 この問題は、党首討論を経て国会での議論が始まるところである。「日本の平和」のために納得のいく議論をしてほしいものである。
 私は、この問題を見据えた拙著「真・平和立国」を連載中であるが、「日本の平和」に対する国会議員の皆様の良心と勇気を信じ、切に信じて、結論が出るまで筆を休めることとする。
 
 先日、息子の社会科の資料集(青葉出版)に、「戦後の新しい日本(昭和時代)」の「新しい日本の出発」というページがあるのを目にした。そこには「あたらしい憲法のはなし」と題して、「戦争放棄」について「(前文略)〜日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。」という当時中学生に配布された文を記載していた。
息子が子供を持った時、その資料集には平成の後半がどのように紹介されているのだろうか。。。我々は、昭和の先達の残してくれた平和日本を、子孫に残せるのだろうか。。。

作品名:モバイル艦隊 作家名:篠塚飛樹