月曜日 桜
秋の深まる10月のある月曜日。風邪で一週間休んだ後の週末明けの、憂鬱な朝のことだった。つい起ききれず、気付けば目覚まし時計は、ぎりぎりの電車に到底間に合わない時刻をさしていた。すっかり怠けきった体に鞭打って支度をし、ラッシュを過ぎてなかなか学校方面の電車がこないホームで立って待つ。すると見たことのある顔が目の前の電車に乗り込んだ。目を細めてこちらも鈍りきった思考回路を巡らせると、思い当たる者が一人。クラスメイト、といっても会話を交わしたことはない。自分の交友関係が狭いのもあるが、たしか『嘘つき』という話で、クラスで割と浮いた人物だった。
「それは行き先が違うぞ」
「え、」
ひとまず声をかける。さっとふりむいてこちらの顔を認識すると、いやに長い前髪の奥の目を大きく見開いた。その驚きように、一瞬思考が止まる。
―――もしかしたら、まだ覚えていないのか
少々気まずくて目をそらす。しかし着ている制服は同じなのだ。そこまで戸惑うこともないだろう。いいかげんだからまずその電車から降りろ。
そんなことをつらつらと思っていると、彼は真顔になって口を開いた。
「桜を、見にいくんだ。」
―――、は
あいだをすりぬける風は肌寒い。桜の季節ではない。まごうことなく秋である。
ただ、目前の男の顔はいたって真面目で、その目はまっすぐにこちらを見ていた。黒い瞳にたじろぐ。冗談と、笑いすごせない。嘘つきの目とは、かくも。
息を、吐く。
「そう、なのか。」
「君も一緒に来るかい?」
発車のベルが鳴り響いた。
薄く浮かんだ笑みがガラス越しになる。
『さよなら、』
そして、彼は轟音と共に去っていった。
数十秒にも満たないやり取り。
それが、僕と彼との最初で最後の会話である。
学校へ着くと、彼は五日前から失踪している、との情報が飛び交っていた。
しかし僕がその日の朝のことを話すことは、後にも先にも無い。
あれから風の噂で、彼はありきたりきながら複雑な家庭の持ち主だったらしく、親戚のところをたらいまわしにされていた、ときいた。
彼があのまま何処へ行ってしまったのか、誰も知らない。
桜は夏に葉がなくなると、秋に狂い咲くという。
その年は、台風が多かった。
彼は本当に桜を見に行ったのだろうか。
彼はどんな嘘吐きだったのだろうか。
あの時 もし僕がついていく事を選択したなら
彼はどうしたのだろうか。
そして今年も僕はそんなことを思いながら、夏に庭の桜の葉を摘む。