step by step
戸惑ったまま、リアクションを返せない様子の彼女に尋ねる。
「もしかして、試合の後で何か用ある?」
「ーーえ、…………別に、なにもないけど、」
彼女の答えに、少しばかり後ろめたさを感じた。こう聞けばこういうふうに答えるだろう、と考えての質問だったからだが、少々ずるい聞き方をしてしまうほど、彼女に打ち上げに来てほしい思いが今は強くなっていた。皆に彼女を会わせたいだけでなく、彼女にも皆に会ってほしいと思ったのだ。活動が忙しくて大変な時もあるけど、1年近く所属してきたサークルの面々は今や、大切な仲間といっても差し支えないから。
「じゃあ、打ち上げに参加するって言っといていいかな」
だが案の定また、彼女の表情は困惑を深めてしまった。こんなふうに彼女が困るのはわかりきっているのに、来なくていいと言わない自分に対し、複雑な気分も感じてはいた。
考えていると解釈するには、長い沈黙。
「……迷惑じゃないの、部外者が行って」
「全然。向こうが来いって言ってんだし」
絞り出すように言葉を紡ぐ彼女の、逃げ道をふさぐ真似をしている。それを自覚していながら、それでも、彼女に来てほしいと思う自分の感情はもはや抑え難くなっている。
「でも私、…………」
と言葉を切った彼女は、途方に暮れたとしか表現しようのない目をこちらに向け、うつむいた。だいぶ冷めてしまったであろうコーヒーのカップを、握りしめて凝視している。行かないで済む理由をもう思いつけないのだろう。だからといって一番正直な思いは、口に出せないでいるのだ。居心地が悪いと正直に訴えることは。
彼女がそう感じてしまうこと自体は、しかたない。そういう性格なのだから。基本的に出しゃばることはせずに一歩引く、彼女の慎ましさは好ましいが、時折見せられる毅然とした一面も好きなのだ。ひとたび必要と判断した時には、率先して前に出て行動する彼女。
ーー今だって、そういうふうにしてほしい。
「あのさ」
あえて、テーブルに身を乗り出して彼女に顔を近づける姿勢で、切り出した。彼女が驚くだろうとは思ったし実際そうだったが、どんな形ででもとにかく顔を上げさせたかった。こちらを確実に見てくれるように。目が合った瞬間を逃さないように、タイミングをはかって言う。
「何べんも言ってるけど俺、遊びで槇原(まきはら)と付き合ってるんじゃないから」
詰めていたらしい息をすっと飲み込み、目を見開く彼女。早いまばたきを何度かした後、目線を下に落とす。言葉をなくしている口が手で覆われるのと同時に、頬が一気に赤くなった。
……ああ、可愛い。ものすごく可愛い。
いろんな表情の中でも、こんなふうに赤くなった時が一番好みだし、半端なく可愛いと思う。
衝動が、表に出ないように注意しつつ、斜めの位置関係から彼女の横へと移動する。
飛び跳ねている心臓を少しでも抑えるため、静かに深呼吸を一度。
「ーーちょっと、ぎゅってしていい?」
え、と口だけ動かしてこちらを見た彼女の肩に腕を回し、充分に加減しながら引き寄せた。空いている方の手でマグカップを遠くへ押しやりながら。
片腕だけでもすっぽりおさまってしまうほど、細い肩。その肩が、体全体が一瞬でこわばり、次いでほんの少し震える。
見なくても、自分の肩口に触れている顔が真っ赤になっていることは、伝わる熱でわかる。ーーそうだ、彼女はこういう子なんだ。こと男女交際については、何かにつけて慣れていない。とっくに知っていたはずだった。
キスしたい、という思いがかつてないほどに膨れ上がってくる。だけどこれ以上、彼女を緊張させるのも本意ではない。衝動と理性の擦り合わせで、額に軽く、唇を触れさせるだけにとどめた。
それだけでも彼女の熱さはさらに上昇する。
好きだと口に出して言えば話はもっと簡単なのかもしれない。しかしいまだに、いやむしろ今だからよけいに、直接そう言うための勢いが出せない。付き合い始めて3ヶ月経って今さら、と思ってしまうのと、それ以上に単純に恥ずかしかった。はた目から見れば、自分が実際に言っていることやっていることの方が恥ずかしいのかもしれないが、たった3文字の言葉の方が自分には何故か難しい。言おうと何度努力しても、どうしても口に出せない。
だから、違う方法に頼って伝えようとしてしまう。……伝わっていてほしい、と思う。
自分の想いに初めから嘘はない。そばにいるのも触れるのも、彼女が好きだから。理由はそのひとつだけでしかないことを、言葉から態度から触れるところから、少しでも伝わっていてほしい。
そして、少しずつでも、彼女が慣れてくれたらいいと思う。自分の「彼女」であることに、こうやって自分が触れることに。
もとより無理強いをする気はまったくない。けれど、やっぱり先へは進んでいきたいと思うから。一歩ずつでも、あるいは一歩にも足りないくらいの小さな歩みででも。
……ともあれ今の問題は、いつ、この状態をやめるかということだ。緊張が続くせいか、彼女の体は細かい震えが止まらなくなっている。すぐにでも解放してあげるべきだと頭では思いながらも体を動かせない。鼻先に感じる彼女の髪の匂い、腕に伝わる彼女の感触を、まだ遠ざけたくなかった。あと少しだけ。
できるならずっとこうしていたいけどそれは無理だから、あと少しだけ。都合のいい論理で、彼女を抱きしめる時間を引き延ばしていた。「……暑い」と彼女が訴えるまで。
- 終 -
作品名:step by step 作家名:まつやちかこ