『喧嘩百景』第13話日栄一賀VS田中西
日栄一賀VS田中西
「番犬二匹捕獲っ」
相原裕紀(ひろのり)と相原浩己(ひろき)は、彼らの所属するお茶会同好会の茶会に参加するため訪れた図書館五階会議室の入口で、気配を殺して待ち伏せていたらしい先輩二人に捕らえられることになった。
先輩の一人、碧嶋美希(あおしまみき)が「出した」ものらしい鍵付きの首輪が、二人の首に嵌っている。
「これはどういうことですか?先輩」
首輪からもう一人の先輩、不知火羅牙(しらぬいらいが)の手元へとのびる鎖を手にとって、双子の兄裕紀は恨めしそうな視線を上げた。
「ことと次第によっちゃあ、俺たちでも怒りますよ」
弟浩己の言葉に、羅牙が意地悪な笑みを浮かべる。
「おまえたちが怒り狂うと思ったから、あらかじめこうして押さえたんだよ」
――!!
二人は繋がれた鎖を掴んで羅牙に殴りかかった。
「日栄(ひさかえ)さんに何かするつもりか!!」
「御名答」
もとより本当に殴る気などはなかったが、二人の身体は、彼女の数センチ手前でピタリと静止した。
彼らを押さえつけようとするような圧力を感じるわけでもないのに、指一本動かせない。
――先輩か――、まさかこれほどとは。
不知火羅牙は念動力者(サイコキノ)だ。しかし、彼女がこんなふうに力を使うのを、二人はあまり見たことがなかった。彼女の力は、使うときにまったく集中を必要としないため、どのような使い方をするのも自在だが、もともと格闘を得意としていた彼女は、自身の腕力だとか脚力だとかに上乗せする形で使うことが常で、こんな風に離れた場所へ力を作用させることなど本当に稀なことなのだ。
「何かあったら、あたしが責任もって止める」
彼女はそう言った。
――そうか、百パーセント止められるということを解らせるためにわざわざこんなことを。しかし――――。
「承伏できません」
浩己は唸るように言葉を吐き出した。
「まあ、そう言うだろうとは思ったがな――、今回はなあ、環女史のOKも出てるんだよ」
羅牙の言葉に、二人は返す言葉を選び倦ねた。
環(たまき)女史――神田環は、その昔、「最強最悪」と呼ばれ何者も寄せつけず触れる者すべてを叩き伏せてきた日栄一賀が、唯一心を奪われた女性だ。彼女の言うことであれば、一賀は何だってやるだろうし、彼女のために動く一賀は、彼らでも絶対に止められはしないだろう。
「あの人に…何を?」
泣きそうな顔で訊ねる後輩に、ちょっと意地悪な先輩は、
「なあに、心配すんなよ、相手は田中の西(あき)さんだ」
と笑顔で言った。
★ ★
「約束するよ、会長。勝っても負けても今回限りだ」
図書館の屋上に裕紀と浩己が連れてこられるのを待って、田中西は宣言した。
「どうしても相手しなきゃだめかな」
困ったような囗振りの一賀の視線は、西ではなく羅牙の方に向けられていた。
西という娘の気性ははっきりしている。彼女にやめる気のない以上、誰かに止めてもらうほか、ない。
「あたしはだめなんて言ってないし、そもそも相手しろとも言ってないよ」
一賀の視線をまっすぐに受けて、羅牙はニヤリと笑った。
一賀だとて、羅牙に頼まれたからここに来たわけではない。この場で一賀に何かを強いることができるのはただ一人、神田環だけなのだ。
だが、その環は、周りの様子など気にするふうでもなく、テーブルの脇で黙々と茶の用意をしていた。
「まあ、一賀ちゃんの好きにすればいいよ。西さんも好きにすると思うからさ」
羅牙の言葉に、一賀は頼りなげな苦笑を浮かべた。
「今日こそ逃がさないよ、会長。キズの一つや二つは覚悟してもらうからね」
西の方は、嬉しそうに笑うと得物のガス銃(ガン)を構えた。
「やだ、西さんったらやっちゃう気満々だわ」
テーブルには神田恵子が菓子を前に茶を待っていた。今日はいつになくギャラリーが少ない。いつもなら羅牙たちと一緒にいるはずの島崎洋子もいないし、西の相棒であるはずの相本沙綾もいない。一賀を本気にさせての対戦なら見に来てもおかしくない緒方竜もきていなかった。
「田中、やめろ――」
「俺たちがいくらでも相手になるから」
鎖でコンクリート製の手すりに繋がれた銀狐は、縋るような思いで西に訴えた。
「やなこった。あたしは日栄一賀に借りがあるんだ、おまえたちなんかいくらやっても気がすまないね」
二人はすでに西に痛い目にあわされたことがあった。何度やっても彼女にはかなわないだろう。西も、そういう、女に手を出せないような優しい人間には用がなかった。
「いいよ、キズの一つや二つ気にならないし。西さんの好きにすれば――」
なだめるような一賀の言葉は、昔の彼を知る者には意外なものだった。
西も目を丸くして「ひゅう」と囗笛をもらした。
「驚いたな。あんたの囗からそんな殊勝な言葉が聞けるとは。だがな、「最強」じゃないあんたをやったって、あたしの気はおさまんないんだよ、会長」
――最悪だったくせに。
「だって西さん――」
――だってとか言うな。
「僕はもう――」
――うるさい。
西にも解っている。彼はもう昔の一賀ではない。しかし西にはどうしても返しておかなければならない大きな借りがあった。
「会長、問答無用だ」
西は構えた銃を横に向けて連射した。
ギャラリーの方向だ。
テーブルの上で力ップがいくつかと、環の手元でティーポットが割れる。
「田中っ!!」
裕紀と浩己が悲鳴のような声を上げた。
――止められなくなる。
よりによって環女史を狙うなんて――。
「田中西――」
案の上、一賀は弾かれたように西につかみかかった。
「そうこなくっちゃ」
西は一賀の動きにあわせて一旦間合いをとった。しかし、一賀はその間合いを一跳びで詰めて西の右手を掴んだ。
「日栄さん!!やめて下さい!!」
自分たちをこんなふうに手出しできないようにして連れてきたのだ。この場にいる誰にも、二人を止める気は、ない。それはこの場にいる誰も一賀がどれほど「最強」で「最悪」だったかを知らないからだ。彼に触れて五体満足でいられた者はいない。それが女でもだ。彼について語られる悪意を持った噂話は、決してデマではないのだ。
裕紀と浩己は今さら一賀に女を傷つけさせたくはなかった。
しかし、西は一賀が彼女の腕をへし折るためにとった手を逆に引いてぐるりと前転した。回りながら一賀の首に足をかけ引き倒す。自由になる方の手で銃をとり、腕を掴んでいる一賀の手を撃つ。小さな金属の弾が手の甲を弾いて血を滲ませた。
「何だ、会長、初手で膝をついた上に反撃まで許すのか?」
それでも手を放さない一賀の手首に銃囗をあてがい、西は立て続けに引き金を引いた。
ガス圧を強化してある西の改造銃は、多少離れた所から撃っても相手に傷を負わせることができる。距離のないところから放たれた金属の弾はこぼれることなくすべて一賀の手首にねじ込まれた。
「僕から君へのハンデだよ。――俺は、加減などできないからな」
言うなり一賀は西を蹴りつけた。
加減できないという言葉どおり重い一撃。
西はたまらず膝をついてせき込んだ。
「番犬二匹捕獲っ」
相原裕紀(ひろのり)と相原浩己(ひろき)は、彼らの所属するお茶会同好会の茶会に参加するため訪れた図書館五階会議室の入口で、気配を殺して待ち伏せていたらしい先輩二人に捕らえられることになった。
先輩の一人、碧嶋美希(あおしまみき)が「出した」ものらしい鍵付きの首輪が、二人の首に嵌っている。
「これはどういうことですか?先輩」
首輪からもう一人の先輩、不知火羅牙(しらぬいらいが)の手元へとのびる鎖を手にとって、双子の兄裕紀は恨めしそうな視線を上げた。
「ことと次第によっちゃあ、俺たちでも怒りますよ」
弟浩己の言葉に、羅牙が意地悪な笑みを浮かべる。
「おまえたちが怒り狂うと思ったから、あらかじめこうして押さえたんだよ」
――!!
二人は繋がれた鎖を掴んで羅牙に殴りかかった。
「日栄(ひさかえ)さんに何かするつもりか!!」
「御名答」
もとより本当に殴る気などはなかったが、二人の身体は、彼女の数センチ手前でピタリと静止した。
彼らを押さえつけようとするような圧力を感じるわけでもないのに、指一本動かせない。
――先輩か――、まさかこれほどとは。
不知火羅牙は念動力者(サイコキノ)だ。しかし、彼女がこんなふうに力を使うのを、二人はあまり見たことがなかった。彼女の力は、使うときにまったく集中を必要としないため、どのような使い方をするのも自在だが、もともと格闘を得意としていた彼女は、自身の腕力だとか脚力だとかに上乗せする形で使うことが常で、こんな風に離れた場所へ力を作用させることなど本当に稀なことなのだ。
「何かあったら、あたしが責任もって止める」
彼女はそう言った。
――そうか、百パーセント止められるということを解らせるためにわざわざこんなことを。しかし――――。
「承伏できません」
浩己は唸るように言葉を吐き出した。
「まあ、そう言うだろうとは思ったがな――、今回はなあ、環女史のOKも出てるんだよ」
羅牙の言葉に、二人は返す言葉を選び倦ねた。
環(たまき)女史――神田環は、その昔、「最強最悪」と呼ばれ何者も寄せつけず触れる者すべてを叩き伏せてきた日栄一賀が、唯一心を奪われた女性だ。彼女の言うことであれば、一賀は何だってやるだろうし、彼女のために動く一賀は、彼らでも絶対に止められはしないだろう。
「あの人に…何を?」
泣きそうな顔で訊ねる後輩に、ちょっと意地悪な先輩は、
「なあに、心配すんなよ、相手は田中の西(あき)さんだ」
と笑顔で言った。
★ ★
「約束するよ、会長。勝っても負けても今回限りだ」
図書館の屋上に裕紀と浩己が連れてこられるのを待って、田中西は宣言した。
「どうしても相手しなきゃだめかな」
困ったような囗振りの一賀の視線は、西ではなく羅牙の方に向けられていた。
西という娘の気性ははっきりしている。彼女にやめる気のない以上、誰かに止めてもらうほか、ない。
「あたしはだめなんて言ってないし、そもそも相手しろとも言ってないよ」
一賀の視線をまっすぐに受けて、羅牙はニヤリと笑った。
一賀だとて、羅牙に頼まれたからここに来たわけではない。この場で一賀に何かを強いることができるのはただ一人、神田環だけなのだ。
だが、その環は、周りの様子など気にするふうでもなく、テーブルの脇で黙々と茶の用意をしていた。
「まあ、一賀ちゃんの好きにすればいいよ。西さんも好きにすると思うからさ」
羅牙の言葉に、一賀は頼りなげな苦笑を浮かべた。
「今日こそ逃がさないよ、会長。キズの一つや二つは覚悟してもらうからね」
西の方は、嬉しそうに笑うと得物のガス銃(ガン)を構えた。
「やだ、西さんったらやっちゃう気満々だわ」
テーブルには神田恵子が菓子を前に茶を待っていた。今日はいつになくギャラリーが少ない。いつもなら羅牙たちと一緒にいるはずの島崎洋子もいないし、西の相棒であるはずの相本沙綾もいない。一賀を本気にさせての対戦なら見に来てもおかしくない緒方竜もきていなかった。
「田中、やめろ――」
「俺たちがいくらでも相手になるから」
鎖でコンクリート製の手すりに繋がれた銀狐は、縋るような思いで西に訴えた。
「やなこった。あたしは日栄一賀に借りがあるんだ、おまえたちなんかいくらやっても気がすまないね」
二人はすでに西に痛い目にあわされたことがあった。何度やっても彼女にはかなわないだろう。西も、そういう、女に手を出せないような優しい人間には用がなかった。
「いいよ、キズの一つや二つ気にならないし。西さんの好きにすれば――」
なだめるような一賀の言葉は、昔の彼を知る者には意外なものだった。
西も目を丸くして「ひゅう」と囗笛をもらした。
「驚いたな。あんたの囗からそんな殊勝な言葉が聞けるとは。だがな、「最強」じゃないあんたをやったって、あたしの気はおさまんないんだよ、会長」
――最悪だったくせに。
「だって西さん――」
――だってとか言うな。
「僕はもう――」
――うるさい。
西にも解っている。彼はもう昔の一賀ではない。しかし西にはどうしても返しておかなければならない大きな借りがあった。
「会長、問答無用だ」
西は構えた銃を横に向けて連射した。
ギャラリーの方向だ。
テーブルの上で力ップがいくつかと、環の手元でティーポットが割れる。
「田中っ!!」
裕紀と浩己が悲鳴のような声を上げた。
――止められなくなる。
よりによって環女史を狙うなんて――。
「田中西――」
案の上、一賀は弾かれたように西につかみかかった。
「そうこなくっちゃ」
西は一賀の動きにあわせて一旦間合いをとった。しかし、一賀はその間合いを一跳びで詰めて西の右手を掴んだ。
「日栄さん!!やめて下さい!!」
自分たちをこんなふうに手出しできないようにして連れてきたのだ。この場にいる誰にも、二人を止める気は、ない。それはこの場にいる誰も一賀がどれほど「最強」で「最悪」だったかを知らないからだ。彼に触れて五体満足でいられた者はいない。それが女でもだ。彼について語られる悪意を持った噂話は、決してデマではないのだ。
裕紀と浩己は今さら一賀に女を傷つけさせたくはなかった。
しかし、西は一賀が彼女の腕をへし折るためにとった手を逆に引いてぐるりと前転した。回りながら一賀の首に足をかけ引き倒す。自由になる方の手で銃をとり、腕を掴んでいる一賀の手を撃つ。小さな金属の弾が手の甲を弾いて血を滲ませた。
「何だ、会長、初手で膝をついた上に反撃まで許すのか?」
それでも手を放さない一賀の手首に銃囗をあてがい、西は立て続けに引き金を引いた。
ガス圧を強化してある西の改造銃は、多少離れた所から撃っても相手に傷を負わせることができる。距離のないところから放たれた金属の弾はこぼれることなくすべて一賀の手首にねじ込まれた。
「僕から君へのハンデだよ。――俺は、加減などできないからな」
言うなり一賀は西を蹴りつけた。
加減できないという言葉どおり重い一撃。
西はたまらず膝をついてせき込んだ。
作品名:『喧嘩百景』第13話日栄一賀VS田中西 作家名:井沢さと