セカンド・パートナー
第一話
朝霧佐知子、四十二歳。四十五歳の夫・孝、高校二年の息子・亮太と、東京郊外の住宅街で暮らしている。
子育てもほぼ終わり、ようやく自分のことを中心に考えられる時がやって来た。年齢的にもまだまだ自分に磨きがかけられる女盛りとも言える。
夫の孝とは、可もなく不可もなくという関係だ。仕事や付き合いで帰りが遅いという不満は、どこの家庭にもあるだろう。働き盛りの夫を持つ妻の宿命のようなものだ。
今日は、高校時代の同級生、前島沙織とランチの約束をしていた。沙織も同じく、夫と高校生の息子を持つ専業主婦だ。
普段着から外出着に着替え、いつもはつけていないマスカラを塗ると、一段とメイクをした感が強くなる。昨夜塗っておいたマニキュアも指先を綺麗に見せている。その指に外出用の指輪をはめ、髪も念入りに整え、クローゼットに眠る唯一のブランドバッグを手にすると、主婦からひとりの女性への変身が完了する。自然と満足感が漂い、高揚感がみなぎる。女装を楽しむ男性がいるのもわかるような気がした。
待ち合わせ場所は、いつもの店の前の公園で、その中を少し散策してから、店に入るのが二人の習慣になっていた。
佐知子と沙織は、外見も物事に対する感覚も良く似ていた。主婦雑誌の読者モデルにでもなれそうな平均的な容姿で、特に人目を引くというわけではないが、大きな子どもを持つ母親にしては、所帯じみてもいない。
世間話をしながらの散策を終え、ふたりはいつもの店に入った。そして、席に着くといつものランチを注文した。昼下がり、店内は粗方席は埋まっていたが、パスタを食べ終え、コーヒーを飲む頃には、空席が目立っていた。
いつもの他愛ない会話が途切れた時だった。コーヒーカップを手にした沙織が、突然、
「私ね、セカンドパートナーができたの」
まるで新しいスーパーを見つけたくらいの軽いノリで言い放った。が、その言葉の意味を佐知子はすぐには理解できなかった。
「何、それ? 初めて聞くけど」
「直訳通りよ」
そう言われて、佐知子が咄嗟に浮かんだ意味だとしたら、スーパーを見つけたなんて軽い話ではない。
「まさかと思うけど、夫以外の人と……その……」
「まあ、当たらずとも遠からずってとこかな」
佐知子は、目の前のコーヒーカップを手に取ると、自分を落ち着かせるようにそれを飲み干し、カップを置いてまっすぐ沙織を見た。
「はっきり聞くけど、ご主人を裏切っているということ?」
「見方によるわね、そうとも言えるけど、そうではないとも言えるの」
「何だかわからないわ、もっとわかるように説明して」
佐知子はコーヒーのお替りを頼んだ。いつのまにか、店内の客は、佐知子たち以外は一組だけになっている。
「ひと言でいえば、心のつながりなの。不倫と勘違いされやすいけど、そこが大きく違うのよ」
「そんなこと言っても、男と女でしょ? いつ、どうなるかなんてわからないじゃない!」
「いいえ、それはないわ。関係を持ってしまったら、別れるのは時間の問題じゃない? それは終わりの始まりですもの。でも、心のつながりには終わりはないのよ」
「それって、世間、いいえ、夫に対しての言い訳に聞こえるけど」
「だから、関係を持たないから夫に言い訳をする必要はないわけ」
「じゃ、ご主人には話してあるの?」
「いいえ、わざわざ言うことではないし、夫婦だからって何でもかんでも話すというものでもないでしょ」
「ほら、やっぱり罪悪感があるんじゃない」
「佐知子、この話はもうやめましょう。あなたに理解してもらうのは無理みたいだから」
沙織と別れ、家に帰ってからも、佐知子の頭の中で
(セカンドパートナー……)
という言葉がぐるぐると回りつづけていた。
沙織とは、これまでずっと似た者同士だと思ってきた。実際、服のセンスや食べ物の好みも一緒で、互いの夫も感じがいいと認め合っていた。
その沙織がとんでもないことを言い出した。佐知子は沙織の夫が気の毒に思えた。思春期の息子もいるというのに。
その夜、佐知子は夕食の支度をして家族の帰りを待っていたが、夫の孝も、息子の亮太も帰って来ない。二人からは何の連絡もなかった。
しかたなく、佐知子は冷めた炒め物をレンジで温め直し、ひとり食べ始めた。とろみの付いた炒め物を温め直すと、水分に変わり、野菜の歯触りもなくなる。
こんな風にひとりで食事をとることが最近多くなった。でも、佐知子はあえて気にしないようにしていた。
孝は仕事が大変だし、亮太だって遊びたい年頃だ。そう思って、自分を抑えてきた。
でも、昼間の沙織のあの一言で、自分が今の生活に決して満足していないこと、何かを求めていることに目を背けられなくなってしまった。
(セカンドパートナー……)
それっていったいどんなものだろう?
作品名:セカンド・パートナー 作家名:鏡湖