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美しい文章とは何か、長年の疑問がの答えが少し見えてきた。

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『【美文】とは何か、長年の疑問が少し見えてきた』

 若い頃、せっせと公募の文学賞に応募し続けていた時期がある。本人いわく「投稿時代」だ。「公募ガイド」なる公募コンテスト情報誌の存在を知人から教えて貰い、「公募カレンダー」なるものを作って、ターゲットのコンテストに投稿していた。
 今、憶えば二十代、独身であった時期だから、できたことなのだろう。
 時には恐れ知らずにも大手出版社に原稿を持ち込んだこともある。とはいえ、地方暮らしだから、わざわざそのために上京するというわけにもゆかず、郵送で送ったのである。 社名や文庫レーベルの名前は控えるが、日本でも名の知れた大手出版社であり、若い女性向けの恋愛小説やファンタジーをたくさん出している文庫レーベルの編集部であった。
 運が良ければ返事が貰えるくらいで、そこまで期待していたわけではない。
 だが、幸運にも返事が返ってきた。
 編集者からの手紙に今も忘れられない一文がある。
―美文というのは単に美しい文章というのではない。
 頂いたお返事とは少し違うかもしれないが、とにかく「美文」という言葉だけはやけに鮮烈に憶えている。
 内容は「美文」というものがどのようなものであるかという定義に近かったように思う。当時の私からしたら、何か謎かけのようなものであり、結局、美文というのが具体的にどのようなものなのかは判らずじまいだった。
 未熟故のことだったのだろう。
 あれから二十年余りが過ぎた。あの頃から今もたいした進歩はないが、それなりに書き手としても人間としても経験を積み、多少は見えてきたものもある。
 そして、今日、ある小説を読んでいて、ハッとした。
 最近、アマゾンでたまたま見つけて注文した小説だが、面白い。何より、文章が美しい。今日、その作品を読んでいて、
―この人はキレイな文章を書く人だなぁ。
 と、無意識に感じた。その瞬間、何かストンと落ちてきたものがあった。
 文章がキレイ、美しいというフレーズから、自然に「美文」という言葉につながった。注意してキレイだと思った文章を読み直してみても、けして「美文」ではない。
 つまりキレイな言葉、美しい言葉ばかりを連ねているわけではないのである。では、何故、この人の文章を美しいと感じたのか。
 私なりに考えてながら、再読してみた。そこで、はたと気づいた。
 美しい言葉を使っているわけではなく、「表現力が豊か」な文章なのである。例えば、季節の風景の描写一つをとっても、ありたきたりのものでもなく、かといってキレイな言葉を使っているわけでもない。
 しかし、一つ一つの言葉がよく吟味されていて、その表現、言い回しに味がある。味があるというより趣があるといえば良いのか。
 それで、二十年前のあの編集者の「美文」へと想いは繋がっていった。
 確か、あの人はこんなことを言っていたのではなかったか。
―美文は美辞麗句、美しい言葉ばかりを連ねたものではない。
 あの謎かけのような言葉を聞いてから、長い年月を経て、私は漸く一つの応えを見つけたような気がする。
 美文とは雅語を並べた文章にはあらず、味わい深く、よく考え選び抜かれた的確な言葉で描かれた文章こそ、まさに「美文」なのではないか。そして、その「美しさ」の源とは「豊かな表現力」であるのではないかと。
もちろん、これはあくまでも私なりに考えた「美文」の条件であって、これが編集者の言いたかった応えと同じかどうかは判らない。
だが、今、読んでいる小説はけして難しい言葉を使っているわけでもないのに、何故か一つ一つの文章や人物の心理表現、情景描写が心に残る。
このような文章こそがまさに美しい文章というなら、美文とは「人の心に訴えかけ、揺さぶる文章」ともいえるのかもしれない。