孤独の行方
第二章 町井瑠璃子(三)
残された瑠璃子と麻里は顔を見合わせた。
「どうする?」
「そうね、もう遅いから何か食べてく? あっ、でも瑠璃子のところはご主人が待っているのよね?」
「ええ、でも、今からではもう遅いから主人には外で何か食べてきてもらうわ」
そう言うと、瑠璃子は携帯を出して聡に電話を入れた。
駅前に着くと、二人は泥だらけの靴を履き替えた。これでなんとか店に入れる。疲れていたので最初に目についた小さな店に入って定食を注文した。
「佐原さんて本当に親切な方ね」
瑠璃子がしみじみと言った。
「いつもあんな感じよ。でも今日みたいに遅くなるのは困ると思うわ」
「どうして?」
「奥さん、体が不自由らしいから」
瑠璃子は驚いた。年齢からして妻がいるのはごく当たり前だ。なのに会に一緒に参加しないというのは、考えてみると不自然な気がする。
それにしても、家では妻の世話、趣味の会では会員の世話とは――そんな人を初めて身近で見た。そして、家へ帰ると風呂に浸かりながら瑠璃子は考えた、自分に佐原のサポートができないか、と。
それから一年――
町井瑠璃子は忙しい日々を送っている。
日課のウォーキングは一時間にまで伸びていた。そして、家事を済ますと「山歩きの会」の事務局にたびたび足を運んだ。ボランティアとして手伝いに通うようになっていたのだ。もちろん、二か月に一度の歩く会にはスタッフとして参加した。そんな姿を見て一番驚いたのは麻里だったが、その麻里にも打ち明けていないことがあった。
佐原への想い――
ひと言では言い表せない感情だった。尊敬? 憧れ? 恋心? どれも当たっているようでもあり、まったく違うものであるような気もする。これまでの山歩きで、困っている人に手を差し伸べる佐原の姿を何度も見てきた。そして、その手助けをできることが瑠璃子にとって何よりの喜びとなっていた。
人のために尽くす――これまで家族のためにしてきたことを他人のためにするという違いだけなのに、家族には当然と受けとられることが、他人だと感謝されるということを身をもって知った。
誰かの役に立つ喜び。誰かに必要とされるやりがい。瑠璃子にとって佐原は慈愛に満ちた牧師のような存在なのかもしれない。その牧師とともに行うささやかな善行は、瑠璃子の心を満たしていった。
子どもが巣立ち、空の巣症候群に陥っていた以前の瑠璃子の姿はもうどこにもない。体を動かすことで活力が生まれ、目的を持つことで有意義な日々を送れた。友人も増え、携帯のアドレスには多くの知り合いが登録されている。
佐原への淡い想いから女としての魅力も磨かれた。聡もそんな生き生きとした妻の変化に気づいたのか、誕生日にはプレゼントまで用意するようになった。
そして、こう言った。
「僕が定年になったら、一緒に山歩きをしよう。その時のためにいい場所をたくさん見つけておいてくれよ。
君の案内で山を歩く日が、今から楽しみだな」
瑠璃子も夫と山歩きをする日を思い浮かべた。
(その時はふたりだけで行こう。夫婦水入らずで自然の恩恵をいっぱい受けて来よう)