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孤独の行方

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第三章 佐原由紀子(四)


 一年の月日が流れた。
 由紀子は久しぶりにスポーツセンターを訪れた。さっそくバスケの練習場へ行くと懐かしい音が聞こえてきた。そして中を覗くと、あの頃と変わりない光景が目に飛び込んできた。すると、由紀子に気づいた梨田が足早に近づいてきた。
「ずいぶんと久しぶりですね、あれから一年くらいたちますかね?」
「そうですね、もうそのくらいになりますね。その節は家まで送っていただいてお世話になりました」
 コートの中の浩太が気づいて、由紀子に手を振った。由紀子も笑顔で手を振り返した。
「今日もおひとりですか? それともご主人はトレーニングルームの方ですか?」
「ひとりです。というか本当のひとりです」
「はあ?」
「離婚したんです、主人とは」
 その言葉にひどく驚き、梨田は慌てて言った。
「えっ! ちょっと待ってください、まさか僕があの時、余計なことを言ったからなんてことはないですよね?」
「ええ、そうです!」
「それは、参ったなあ、あれは――」
 由紀子は梨田の困った表情を見て、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「嘘ですよ。自分で決めて、主人ともよく話し合った末のことです。でも、梨田さんがおっしゃったことが引き金になったということは否定できませんけどね」
「それが困るんですよ。あの後どうにも気なって浩太に様子を見に行かせたら、変な伝言を持ち返ってきて、ますます気になってしまいました」
「あの時の浩太君との会話が、私の背中を押してくれたような気がします。主人といるとどうしても甘えが出てしまいます。主人と離れてみてこの一年、自分なりにがんばってみました。大変なこともありますが、生まれ変わったみたいな自分に満足しています」
「でも、何も離婚までしなくても……」
 由紀子から、先ほどまでの柔らかな表情は消え、真剣なまなざしを向けて梨田に言った。
「お話していませんでしたが、実は私がこの体になった原因の一端は主人にあるのです。ですから、一緒にいる限り、主従関係みたいなのがお互い絶ちきれないのです」
 それを聞くと、梨田は黙ってしまった。そして、しばらくしてこう告げた。
「練習が終わったら、少しお時間いただけますか?」
 
 
 以前にも向かい合って座ったことのある店で、ふたりは再び席に着いた。
 あの時は梨田から厳しい言葉を浴びて深く傷つき、夫に迎えに来てほしいと思った。今となっては懐かしい気もする。
「まずはお詫びしたい、事情も知らずに偉そうなことを言ってしまい、本当にすみませんでした。人様にはいろいろな事情があること、そんなこともわからずに、持論を展開した至らない自分が本当に恥ずかしいです」
「そんなに気になさらないでください。主人の一生を縛り付けているような毎日から私は抜け出せましたし、主人も重荷から解放されたでしょう。お互い楽になったということです」
「では、今はひとりであのお宅でお暮らしですか?」
「ええ、この体ではどこにでも住めるというわけにはいきませんから。あの家と生活費を出すという条件で離婚に応じてもらいました。自立するための離婚なのですから、生活費はもらえないと言ったのですが、主人はそこだけはどうしても譲れないということで。おかしな提案ですけど」
 すると、梨田は居住まいを正して言った。
「その生活費、断ってもらえないでしょうか?」
「はっ?」
 由紀子はこの人は何を言っているのだろう? と思った。
「ですから、それは向こうからの提案ですし、そもそも梨田さんに何の関係があるのでしょうか?」
「ご主人が、いえ元のご主人が生活費を出すというのは由紀子さんの生活を心配してのことですよね? 再婚したらその必要がなくなるはずです」
「それはそうでしょうけど、私がいったい誰と再婚するというのですか?」
「自分ではだめでしょうか?」
 由紀子は、冗談にもほどがあると思って腹が立った。
「あの一言の責任を取るとでもおっしゃりたいのですか? からかわないでください!」
「いいえ、からかうなんてとんでもない。
 今だから言いますが、一年前初めてコートにいらした時、私はあなたに一目惚れしました。でもあなたの隣にはご主人がいらした。ところが今は独身。だとしたら、私にも申し込む資格はできたわけですよね。
 もちろん、今すぐお返事をいただけるとは思っていません。でも真剣に考えてみてください」
 あまりに唐突な告白に、由紀子は考えがまとまらない。
「浩太さんがいて、よりによってまた私だなんて、それは無理と言うものです」
「お体のことを言っているのでしたら、私はそういう回り合わせなのでしょう。
 でも、浩太のことを苦労だと思ったことはありませんし、もちろんあなたのことだって。三人で助け合って楽しくやっていけると思います」
 
 予想だにしない展開……しかし、その場で断れない自分の弱さに由紀子は困惑した。自立したくてやっと一人になれたのに、どうにかやっていけそうな気がしてきたのに、梨田の言葉に揺らぐ心……
「由紀子さん、自立の妨げになるとお考えでしたら、浩太を見ればお分かり頂けると思います。過度な手助けなどいたしません。できる範囲で妻としてのことをしていただくつもりでもいます。
 でも、淋しい思い、悲しい思いだけは決してさせません。これからずっと、あなたに寄り添って歩いていきたいと思います」
 ちょうどそこへ着替えを済ませた浩太が通りかかった。二人を見つけてガラス越しに手を振っている。由紀子は浩太に手を振り返しながら、梨田に言った。
「私、浩太君のいいお母さんになれるでしょうか? 子どもを育てた経験がありませんから」
「あいつはもう子どもではありませんよ。逆に頼ってもらっていいくらいです」
「そうですね、初めて浩太君に出会った時、とても頼もしく感じました。同じ車椅子利用者としては先輩ですし。主人に頼りっきりの自分に気づかせてくれたのも浩太君でした」
 店を出ると、浩太が待っていた。
「由紀子さん、久しぶりですね! 今日はご主人は?」
 由紀子と梨田は顔を見合わせてニコリとした。
「何々? どうしたの?」
 浩太が興味津々で聞くと、梨田が言った。
「俺だよ、これから由紀子さんのご主人は」
「ええっ!!」
 
 それから、梨田と二つの車椅子は並んでスポーツセンターを後にした。夕日の中を笑い声に包まれて。


                 完



作品名:孤独の行方 作家名:鏡湖