「歴女先生教えて~パート2」 第三十九話
「なるほどね。天武~持統と律令制度を完成させたから、かつてのような反乱や謀反は起きなくなっていたの。というより、政治の中枢には藤原一族が居たから、今で言う官僚が実質国家を動かしていたという事になる。長屋王の例でも見られるように、反乱の目は直ぐに潰されていたのね。平和国家の裏側にはこうした暗黒面も存在した。いずれ日本史の授業の時に話せるといいんだけど、今日はやめておくわ。
武則天が亡くなる前にクーデターが起きて、国名は唐に戻った。死後少し混乱はするけど、孫の玄宗が即位して開元の治(713-741)と呼ばれる豊かで平和な時代が訪れる。人口も5000万人台を回復した唐の全盛期ね。一般的には長安の春と形容される。玄宗皇帝の愛した美女、楊貴妃には桃の花のイメージがあるんだけど、地球の温暖化もあって、この時代の都長安は現在より平均気温がニ、三度高かったと言われている。梅や桃の花が咲き乱れていたと思われるわ。李白や杜甫、少し下がって白居易(白楽天)などの詩人も活躍した良き時代だった」
「先生、その時代の宗教はどうだったのですか?」
「いい質問ね。長安にはネストリウス派のキリスト教(景教)やマニ教、そしてゾロアスター教(祆教=けんきょう)の寺院などがあった。夜の繁華街では、シルクロードから送られてきた白い肌と青い目の女性たちが、西域の舞踊を舞っていた。
唐の時代、煬帝が大運河を開削して、南北の物資の往来が豊かになった。そして、太宗が我慢を重ねて善政をを施し、武則天が合理的な政治を行ない、科挙により優秀な人材を育てた。そのおかげで玄宗は開元の治を実現できたの。
そういう意味では玄宗皇帝が一番いい目を見たのね。後に楊貴妃に溺れるまではよ」
楊貴妃に溺れる。それは男の浅はかさと、女の怖さを知らしめる教訓となっている。
*実際には安史の乱を引き起こしたという史実は認められず、楊貴妃は一連の騒乱の連帯責任を取らされて死罪となったようです。
美女伝説についてもクレオパトラと並んで、ちょっと眉唾ものです。
歴史を記すときに物語にするという風潮があるので、確実な証拠が無ければ、不足している部分は想像で補います。
明治になって小説家が発表した像で、真実の歴史人物の真相が歪められてしまったという事があります。
学者がこれを批判すると、一般大衆から猛烈な抗議が沸き起こるのです。
我らの英雄が傷つけられた、というわけです。
来年の大河ドラマで描かれる西郷隆盛などはその典型的な例です。
彼は日本を憂い、正義感から維新の偉業を成し遂げたのではないという学説を述べている歴史家もいるぐらいです。
真実はいつの時代でも闇に葬られ、時の政権の都合の良い歴史にすり替えられるのです。
作品名:「歴女先生教えて~パート2」 第三十九話 作家名:てっしゅう