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お題「カフェ」

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「なぁ、恋って下心っていうのは嘘だよな」

街角の小さな喫茶店で放課後の休憩を楽しんでいる最中、晶が急によくわからないことを呟いた。「知るかよ」と言って俺はそっぽを向いた。せっかくのコーラフロートが溶けちまう。物理の補習をさぼって飲むコーラフロートは格別だ。

しかし、急に何かが起こるのは人生の常なのかもしれない。

目の前の晶の話に飽きて、後ろ向きにソファに手を回しぼんやりと眺めていた入り口から、刺客。カランコロンと音をたてて開閉するドアから、生徒指導の油谷が入ってきたのだ。物理と双璧をなす苦手科目、化学の使い手。低い声に短気な性格。人のことを理解しようともしない頭。「テスト勉強しろ」が口癖。テスト直後のこんな時に、こんな所を見られたら何を言われるか、たまったもんじゃない。しかも、もしかしたら物理の補習のことをなんやかんや言われるかもしれない。

身体の向きを正面に直して晶に説明をする。それでも、店を出る支度をする俺を晶は邪魔する。

「先公なんてどうでもいいだろ?俺は真剣に悩んでるんだからさ」。

どうやら悩みがあるという話だったらしい。



油谷が隣をするりと抜けていった。とっさに顔を背ける。油谷は二つ奥のテーブル席。暑苦しい制服を脱いで、Tシャツになっていたことが幸いした。奴はまだ俺たちに気付いていない。晶に「お前、後ろ向くなよ」と釘を刺す。

「そんな事より、俺の悩みを聞けってば」

この状態は危険だ。素直に、そして静かに、こいつの悩みを聞いてやった方がよさそうだ。「なんだ?」とすぐさま空気に溶け込んでしまいそうな声で返事した。「俺さ…」。こいつは遠くの地雷でもわざわざ踏みに行くような奴だ。この後の言葉次第では、最悪の事態をも招きかねない。慎重に繰り返した。「俺さ…?」。

「今、恋してるんだよ」

あまりにあっけない悩みに内心ホッとした。それでもまだ油断できない。声を押し殺して「誰に?」と聞いた。「この喫茶店のウェイトレスなんだけど…」。そういえば、うちのクラスでも話題になっていた。喫茶店の美少女。出会いの場がない男子校の生徒にとってはまさにうってつけのお姫様だろう。ミーハーな晶が憧れそうだ。

「競争率は高そうだぞ?」

俺が思っている素直な気持ちが思わず出てしまった。「そうだよな…」と肩を落とす晶の向こうに油谷が見える。まずい、まずい。

「…とりあえず、ここを出て話そうぜ」

晶が嬉しそうに首を横に振る。

「今日はあと10分で彼女に会えるんだ」

なるほど。

汚れたポロシャツに、安っぽいネックレス。五分刈りの頭に、足下はサンダル。ヤンキーである。

友達の俺がひいき目に見ても勝算はなさそうだ。だが、晶は真剣である。

「俺さ、あんな可愛い子見たことないんだよ。モデルみたいな体型でさ、でもこんな俺にもやさしくしてくれるんだぜ」

それは客だからだ、とは言えなかった。

「来た!」

晶の大げさな反応にビクッとした俺はとっさに立ち上がってしまった。目の前に油谷の背中。晶もつられて立ち上がる。明らかにおかしな状況である。

「俺、トイレに行ってくる」

スタッフオンリーの看板がかかったドアをモデル体型の彼女が開ける。どうやら晶は少しでも近づきたいらしい。しかし、ここで行かれては非常に困る。晶の壁がないこの席は、油谷が振り返っただけで俺の顔が見える危険地帯だ。

「待て、待て。ここは落ち着いてどっしり構えるんだ。なっ?」

座りながら説得。しぶしぶ席に着いた晶の向こうで、聞き覚えのある声が浮かんだ。

「すいません。フルーツパフェを一つ」

油谷のくせにフルーツパフェを頼みやがった。

晶の話は続く。自分と彼女がどれだけ親密なのかを俺に必死で伝えようとするが、俺の常識ではそれは非常にわかりやすいお店のスタッフと客の関係だった。うんうんと適当な相槌をうって時間をつぶす。油谷にパフェを運んで、店長さんがカウンターに戻った。油谷が最初の一口を口へ運ぶ。スプーン一杯があの量なら、すぐ食べ終わるな。この状況も、もう少しの辛抱だと安心した。

しかし、事件はやっぱり突然起こった。

ガチャン。大きな音を立てて、乱暴に開いたドア。空気が変わる。思わず俺も振り向いた、そこにはフルフェイスのヘルメットに黒ずくめの服。片手にはナイフ。まさか…と思ったときにはすでに遅かった。

「おいっ、さっさと金を出すんだ!」

客の目がカウンターに向けられる。やばい!油谷から晶を使って隠れる。後ろも前も厳戒態勢だ。怒鳴り散らしている犯人。何人かの客が携帯を出すのがこちらからもわかる。この犯人は逃げ切れると思っているのだろうか。間もなくパトカーが到着するはずだ。こんな馬鹿な犯人よりも、問題は油谷である。

「やばい!」

晶が声をあげた。店長らしき男が金を積めている最中、スタッフオンリーのドアから彼女が出てきたのだ。犯人がそこに目をつけた。

「おい、そこの女。こっちへ来い!」

犯人は興奮している。彼女が危ない。しかし、今晶にどかれるのも非常に危ない。いや、もうそんなことを言ってる場合でもない。

「いい加減にしろよ、クソ犯人」

晶の口から犯人に向けられたメッセージはどす黒いものだった。まぁ、もともとヤンキーだから仕方ない。女に近寄ろうとしていた犯人の足が止まった。

「…なんだって?」

「そいつは俺の女だ。近づくんじゃねぇ」

多少の嘘があったが、ここでは目をつぶろう。犯人がこちらに寄ってくる。キラリとナイフの刃が光った。晶がゴクリと唾を飲んだ。その時である。

「やめないか、君もこんなことで人生を棒に振りたくないだろう」

油谷だ。おかげで犯人の足が俺の隣で止まった。チャンス。ヘルメットにかぶせたコーラフロート。それを合図に何人かの客は出口へ走り出す。遠くからはパトカーのサイレンが聞こえる。慌ててヘルメットを脱いだ犯人の顔は、まだ幼かった。高校生?いや、中学生かもしれない。

「くそったれ、死ね」

犯人がナイフをかまえ、こちらに向かってくる。次に犯人に飛んできたのは、フルーツパフェであった。

「ナイス油谷!じゃなくて先生!」

ナイフとヘルメットを奪い取り、俺と晶によるタコ殴りの刑が始まった。まるで悪役は俺たち、

…と思ったら、すぐさま警官が入ってきて犯人を取り押さえてしまった。油谷と目が合う。

「やったじゃないか」

笑った油谷の顔は、新鮮だった。少し先生に対して偏見があったのかもしれないな。俺と晶の肩を抱いて、油谷は低い声でそっとつぶやいた。

「これで、私達は戦友だな」





「あんなに若い者があんなことをする時代だろ。危ない世の中だ。誰かが君を守らなくちゃならない」

「何をつぶやいてるんだ?」

いつもの喫茶店にまた俺の声が浮かんだ。晶がノートに書かれた何やら呪文らしきものを暗唱している。そのせいで目が覚めた。晶の悩みがワンパターン過ぎて、思わず眠ってしまっていたようだ。それにしてもうるさい。

「呪文じゃねぇ。プロポーズの言葉だよ、彼女への!」

「ああ、例の彼女か。そういや、今日は来てないみたいだな。お前に引いて逃げたのかも」
作品名:お題「カフェ」 作家名:作者