新宿までは37分
朝顔の花が開いている光景は美しいのだろうが、活字の詰まった文庫本に目を張り付けて歩いている私の視界にはただの背景の一部として映っていた。通いなれた駅までの歩行は朝顔の変化に感動することはないが、同時に本への集中を乱すことも一切しない。
風景が目に入らないほどの集中は風が吹かないダム湖のように平穏そのものなのだが、改札を抜ける行為などによってそこには多少の波が作られる。そしてその大小に関らず、意識はその変化に釣られる。仕方なく改札を抜け、エスカレーターを降りる。
適当なホームドアの前でもう一度本に集中し、文字をつかんでいく。映像のように浮かび上がらないこの文字の集合体はまだ二巻の途中だ。四巻の終わりまではまだまだ遠い。
背景に突然やってきた電車に驚くこともなく乗り込むと、かなりがらんと空いていた椅子の内の一つに座った。新聞を大きく広げた老人が二人、この車両には乗っていた。他の椅子は新鮮な空気にさらされている。
人の気配が薄い車内で私は本を読み進めた。小鳥のさえずりのように集中をいい具合に邪魔してくる電車の走行音が逆に心地よかった。本の中の若い女も電車に一人で乗っていた。
二巻を読み終えると青い鞄から三巻を取り出し、すぐさま読み始めた。突然女が電車を飛び降りたことに驚くこともなく、文字が浸透していく。重い音が走行音に混じった。
三巻の最期のページを閉じ、四巻を取り出した。その時に鞄からペンが一本ぽろりと転げ落ち、電車の床を転がっていく。拾いに立ち上がると窓の向こうに山が見えた。山?と備え付けの電光掲示板を見ると高尾山口と表示されている。その横には終点とも。
電車から降りると、眼下に蛙が三匹、我が物顔で跳ねていた。誰かがどこかの分岐器をくるっと一回転させたのかもしれないが、そんなことは人間にはできない。