フィラデルフィアの夜に13
雨降る真っ暗な陰の中、女がいます。
廃棄された鉄クズに手を伸ばし、飲み込むのは針金。
引っ張り出す錆び付いた針金を手で丸め、飲み込んでいく。
女は子供を宿せません。
そう医者に言われ、何か、大切な物さえもその瞬間失いました。
飲み込みたくなりました。
食べたくなりました。
おいしそうに思えてきました。
針金が。
自分がおかしく感じながら、おいしく感じ、止められない。
陰へ、暗い中へ、誰にも知られない場所へ。
針金。
つややかで。すべすべして。ざらついて。かがやいて。
錆び付いて。鉄臭くて。
おいしい。
おいしい。
おいしい。
ぐっ、と吐き気がします。
本来食べる物ではない物が、水たまりに落ちます。
それは大量で、彼女の正気の部分が、もうダメだと思わせるほど。
どれだけ吐いたのか。
水たまりの針金。胃液と水たまりの泥に汚れて、はっきりわかりません。
ぶる。
揺れます。針金が、揺れます。
ぶるぶる。ぶるぶるぶる。
水たまりの、胃液と泥にまみれた、針金が。
ぶるぶるぶるぶる。ぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶる。
高速で揺れ動く、スライム状の何かとなって。
ぶびゅん。
大雨で海のようになったゴミ捨て場で、飛び跳ね、泳ぎ、宙を舞います。
魚よりも、なによりも早く。
粘土のような泥をまとい、小高い場所にそれは立ち止まります。
こっちを、女を見ているかのように。
それは両手を自分の顔をぬぐうような、傷付けるような仕草を繰り返しました。
日が、照りつけます。
そこには木偶のようにも見える、針金と泥による人形が立っていました。
その顔は、目と鼻と口が線だけで描かれた簡潔で、それでいて気高くきりりとした、彼女を見守るような顔でした。
彼女は抱きしめ、そこを立ち去ります。
針金を口にしようと二度と思う事なく、光の中、その人形と歩いて行きました。
作品名:フィラデルフィアの夜に13 作家名:羽田恭