富士樹海奇譚 見えざる敵 下乃巻
八 追われる
https://www.youtube.com/watch?v=HakplugtPQI&t=67s
The Gyuto monks - Tibetan tantric choir
熊一はさをりと、源吾、錦七を連れて樹海を逃げる。
欣三の絶叫を耳にすると、熊一は足を速めた。
その熊一の焦りは源吾の背後の錦七にもその状況は伝わった。
“あぁ・・欣三兄も・・。
ヤツはただ単に狩りを楽しんでいるのではない。
殺しを楽しんでいる。“
藪の中を足早に進む。
とにかく早く移動しなくては、滑空するヤツには勝てない_。
品の悪いけたたましい笑い声を響かせてヤツが近づいてくるのが分かる。
ヤツはすぐそこまで来ている。
音もなく近づいている。
ひとを小馬鹿にしたような笑い声が近づいている。
草木が揺れ、突風が押し寄せ、ケモノが後方から迫ってきた!
熊一は後方を確認しながら、急かすが、さをりが足を止め、叫ぶ!
行く手の前方に突然赤剥けの人喰鬼が飛び出してきたのだ!
半狂乱のように忙しなく臭いを嗅ぐような・・人喰鬼は視覚を失っているのか眼孔から血を流している。咄嗟に、さをりを両手で捕まえると、興奮したように臭いを嗅ぎ、幾分落ち着くとさをりを後方に押しやる。
人喰鬼はさをりを仲間と認識したようだった。
さをりもそのことを認識しているらしく最後に指を握ると人喰鬼は、表情を緩めた。
熊一が刀を抜くが、さをりが「やめて・・」と制す。
人喰鬼の目的は・・我々ではなさそうだ・・熊一は、さをりの手を引き、先を急ぐ。
人喰鬼は源吾に目もくれず、ケモノと対峙する。
うぅぅぅぅぅぅと喉を鳴らしながら、威嚇する。
仲間を殺された腹いせなのか、それとも野性の本能なのか。怒りに打ち震えるような怒号を漏らしながら、ケモノに威嚇体制をとる人喰鬼。
思わぬ敵の登場に、一瞬、目を疑うような素振りを見せて。
ケモノは鼻を鳴らして、小馬鹿にしたような声を上げる。
人喰鬼はケモノに一気に飛びつくと喉元を狙って喰らいつく。
ケモノは訝しがって、身を揺すって人喰鬼を弾き飛ばす。
すると反転し、人喰鬼に背を迎えると一気に気を入れたような声を発すると背中の長く硬い毒針を発射する。
赤剥けの身体に無数の毒針を受けた人喰鬼は血泡を吹きながら深い谷に落ちていった。
「源吾は錦七を守る。」
熊一たちを見失ったが錦七を背負った源吾は先を急いで藪の中を進んだ。
生い茂る茂みを進むと突然岩場が現われ、目の前の崖の中腹に洞窟が見える
錦七を背負った源吾は洞窟があることを錦七に伝えると、錦七は洞窟に入るように指示した。洞窟に入ってゆくと、ひんやりとした空気が漂う。
鍾乳洞のようだ。
耳を澄ますと、水の音が聞こえてくる。
錦七はそれが地下を流れる川であることがわかった。
「おいらは聴いたことがあるぞ、この辺りの富士の樹海の地下に流れる地下水脈の話を!
確か精進湖に繋がっているって話だ。この奥の地下の川から逃げ出そう!」
源吾は、錦七の言葉には何の疑いをも持たない。
「わかった。だが川はもっと奥の方らしい。」
段々と大きくなる川の水音に錦七は、心躍った。
「はやくこんなところから抜け出そうぜ!」
源吾も頷いた。
「おいらもこんなところいたくない。」
歩を進めると、地下の川の急流がすぐ脇に見えた。
そのとき熊一の声がした。
「源吾!」
源吾が振り向く。
すると熊一だけが立っている。
源吾が右手を上げて振る。
ところが錦七は、違うものを感じた。
「源吾、源吾の前にいるのは誰だい?」
錦七の声に、源吾は答える。
「熊一兄だ・・。」
「源吾、そいつは熊一兄なんかじゃないっ!」
源吾は錦七の言葉に、熊一に向かって刃を向ける。
「そいつには人間の臭いがしない_。ケモノだっ!」
ワライカワセミのような笑い声を上げると、熊一の姿のケモノが舌を出す。
すると源吾に唾を吐きかける。
源吾が身を躱すと、唾の吐かれた岩が音を立てて溶けた。
「唾で岩を溶かすとは、やはり妖怪変化!」源吾が見得を切る。
「ヤツは毒虫と同じように腹の中で熱を貯めているんだ。
だから奴には接近しない方がいいよ、源吾。」源吾は錦七の言葉に頷く。
源吾が後ずさりしながらこの場所の状況を探る。狭い空間の中での接近戦となれば錦七を背負ったままでは不利。しかも足場が緩い。万が一、錦七に怪我を負わすことにでもなったら、爺婆に何を言われるか知れたものではない。しかも、此奴ケモノはこの森から出してはいけない。となれば、とる道はひとつ。
「源吾、危険だ、地下水脈に飛び込んで!」
「源吾は錦七を守る。」
傷ついた源吾は錦七の入った背負子ごと、地下の激流に投げ込む。
錦七の言語を呼ぶ叫び声が洞窟内に木霊したが、やがて川の音に消えていった。
源吾はケモノと対峙する。狭い洞窟の中では鎖鎌はうまくない。
源吾はクモの糸上に網を放ちケモノ包み込む。
網に囚われ、自由を失った熊一の姿をしたケモノは訝りながら暴れる。
その網を手繰って、怪力の源吾が回転しながら、遠心力を以て網ごと宙に浮かす。
すると洞窟の壁という壁にケモノをぶち当てながら回転させる。
「どうだ、妖怪変化!」
そして、地面に叩きつける!
地面に叩きつける!
地面に叩きつける!
地面に叩きつける!
普通ならこれで体中の骨が全て砕けているはずだ!
更に壁面にぶつけながら3回転して、地面に叩きつける!
息も絶え絶えに源吾は、腰を落とす。
だがケモノはふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、源吾の目を目がけて唾を吐きかける!
しまった!
源吾は両目を押さえる。
これでは何も見えない!
だが、源吾はその場に座り込み座禅を始める。
“源吾は錦七を守る。“
最低限のすべきことはした、という満足感が源吾の身体を満たしたが、次の瞬間、そのすべてが苦痛に変わった。
作品名:富士樹海奇譚 見えざる敵 下乃巻 作家名:平岩隆