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富士樹海奇譚 見えざる敵 上乃巻

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五 逃げない女


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Phurpa - The Visualization

いままで聞いたことのないような野太い悲鳴が樹幹を震わせた。
笹子衆の男たちはすぐに声の方に急ぎ足で進むと、そこには血まみれになった女が呆然と腰を抜かしてただ宙を見つめていた。
そしてその前には夥しい量の血液が池ほどの血だまりを作っていた。
吟次のものに相違なかった。
「てめえ、このアマがぁーっ・・!吟次兄ぃをよくも!」動転した欣三が女の頬をはると、女が気がついたように声を上げる。

“森が、森が襲ってきた・・。”
「わけのわからんことを!」欣三は更に女を蹴倒そうと近寄るが、熊一が制す。
血だまりの上の方に目線を向けさせると、はるか高い松の枝に吟次の無残な骸が吊り下げられているのが見える。
「この女の仕業じゃない・・それに逃げ出さないじゃないか・・むしろ震えている。」
女は熊一が近寄ると、感情が破綻したように喚き始めた
“突然、森が、森が襲ってきたのよ。私の目の前で!あの坊主頭の大男が瞬きする間もなく・・・八つ裂きに・・”

錦七が顔を上に傾けた。
「かまいたち か」
源吾は重い口を開いた。
「やはり妖怪変化か_。」
「源吾は“かまいたち”を妖怪変化だと思うのかい?」
「だって両手両足が釜になった妖怪の絵を爺様が書いてくれた。」
「源吾ぉ、そんな動物いやしないよ。もし両手両足が鎌だったらどうやって飯を食うんだい?血だらけになっちまうだろ。」
「だから妖怪変化なんだろう?」
「かまいたちは妖怪変化なんかじゃないんだ。今日の昼間のような暑い夏の空気と夜の冷たい冬の空気が交わるときに、突風が発生するんだ・・。この辺りには風穴の中に万年氷がある氷穴もあるから。その差が大きいと、突然の強烈な風が吹くんだ。すると知らぬ間に人の肌など擦り切れてしまうんだ・・」
「吟次兄を狙って突然風が吹いたと?」
源吾が珍しく錦七に口答えする。
「さっきから虫の声も、風の音すらしないのに?」
「そうだね。かまいたちなんかじゃない。」
錦七は自分の見解を改めた・・というのは自分には初めてのある“感覚”に気がついたからだ。錦七は自分の背後にいる何者かの“息遣い”を感じた。いや“息遣い”と云ってよいのか・・この樹海に入って以来感じてきた視線の持ち主なのか。いまではすぐ後ろにいる。まるで心の臓の音が聞こえてくるのでは、と思わせるほどに。
「欣三兄」・・錦七は声をかけた・・欣三の居場所を確かめたかったからだ・・。
「なんだよ、錦七。」・・欣三の声は前の方からした・・「おいらの後ろになにかいないかい?」
すると源吾は驚いて振り向き、忍び刀を抜き威嚇体制に入る。欣三も、熊一も。
張り詰めた瞬間。
だが目の前に広がるのは深い夜の森。
・ ・「なんだよ」欣三が刀を下ろそうとすると
女が目を凝らして・・「何かいる・・」
すると錦七は・・「これは俺たちの知っているような動物なんかじゃない」
「兎や狐や熊ならわかるだろ、欣三兄。だが此奴は違うんだよ。なにか生まれも育ちもまるで違う。甲斐や駿河や関東のものどころか、この日ノ本の国のものとも思えない。いいや現世のものとはとても思えないほど・・。」
「森に入ってからずっと着いてきたのは此奴なのか_。」
欣三はその正体に触れようと少しづつ歩み寄る。
熊一は欣三と錦七に尋ねる。「お前たちには見えるのか?」
二人とも首を横に振る。「だが、すぐそこにいることはわかる。」
「源吾は?」
「おいらにはわからない、が、どこにいるかは錦七が教えてくれる。」
熊一はじりじりと前ににじり出てみる。
すると何かが違うことに気がついたが、見ることはできなかった。
「幽霊なのか?」
「かもしれん」
「妖の類か?」
「かもしれん。ハッキリしていることは此奴には明確な意思があるということ。」
「意思?」
「あぁ俺もそれを感じる。」欣三も同意する。
「途轍もない悪意だ。憎悪と・・」錦七が口籠る。
熊一はもう一歩近寄ろうとするが欣三に止められる。「奴は話ができるのか?」
「・・この世ならざるものだぞ、相手は。」
次の瞬間、枯葉を踏みしめる音がして。
その方向に笹子衆は忍び刀で襲いかかった。
が、誰もが己の刀に感触を得たものはなかった。
「逃げたか!」
木の上の方に感あり、すかさず熊一が手裏剣を投げる。
投げたうち二本に手応えがあり、藪の中を木々草草を激しく揺らしながら何かが逃げてゆく。恐らくは相当な大きさだ。その影を追っていこうとするが。
だが樹海の夜の闇の深さは格別。あきらめざるをえまい。
熊一が皆を制するように手を広げる。
すると崖の下の方で、物音がする。
「畜生め!」
安田の声だ。
一同が向かうと安田が崖っぷちに転んでいた。
「暗くてわからなかったが、イノシシに襲われたようだ。」
安田が体を起こすと傍らに熊一の投げた手裏剣のひとつが落ちていた。
「しかし拙者を置いていくなんてあんまりだぞ。」
熊一は手裏剣をひろい、刃に付着していた黄色いドロッとした液体を指でつまむ。
「安田殿、たいした御手柄でした。」
熊一は大袈裟に頭を下げてみせた。
笹子衆は手裏剣を廻しながら見ていたが、安田は何のことだかわからなかった。
「これが奴の血か_。」
黄色い液体の饐えた臭いが広がる。
だが異臭が広がると同時に笹子衆の顔にはひとつの自信が広がった。
「たとえ見えなくとも。血が流れるのであれば、奴を殺せる。」