朝の儀式
俺はトーキング・クロックを愛用している。
トーキング・クロックとは、頂部のボタンをパコンと押すと「○時○分です」と音声で時刻を教えてくれる時計のこと、俺が愛用しているのはピラミッド型のもので、目覚まし時計として使う場合は頂部がスヌーズボタンになる。
大学に合格し一人暮らしを始める時、40過ぎても独り者で親戚中から変わり者と言われている叔父から贈られたもので、叔父も同じ物を愛用しているそうだ。
トーキング・クロックは、1980年代半ばに視覚障害者用に開発・発売されたもので、その第一号は俺が愛用しているのと似たピラミッド型のものだった、当時、時計がしゃべると言う目新しさに加えて文字盤が見えない(底面にあるのだ)斬新なデザインも受けて、一般にもそこそこ流行ったらしい。
トーキング・クロック全般を言えば、本来の目的もあって今でも生産され続けているが、文字盤が正面を向いている四角いものが主流となりピラミッド型のものは長いこと生産されていなかった、最近それが機能を拡張して復刻されたのだと言う。
叔父はこれを妙にニヤニヤしながら手渡してくれたのだが、使ってみると、ナルホド叔父がニヤついていた理由はすぐにわかった。
そして、大学を卒業し、就職してからも大事に使い続けている、『トキコ』と名前までつけて……。
【6時46分です、6時46分です、そろそろ起きて下さい、6時46(パコン)……】
【6時47分です、6時47分です、起きないと会社に遅れますよ、6時47(パコン)……】
【6時48分です、6時48分です、いい加減に起きて下さい、6時48(パコン)……】
【6時49分です、6時49分です、もう起きて頂かないと困ります、6時49(パコン)……】
【6時50分です、6時50分です、もう起きないと、本当に遅刻ですよ、6時50(パコン)……】
【6時51分です、6時51分です、起きなさい! 6時51(パコン)……】
【6時52分です、6時52分です、起きなさいってば! 6時52(パコン)……】
【6時53分です、6時53分です、起きてって言ってるでしょう! 6時53(パコン)……】
【6時54分です、6時54分です、起きてよ~! 起きてくれないと泣いちゃうから! 6時54(パコン)……】
【6時55分です、6時55分です……グスン……もう……会社に遅れちゃっても知らないんだから……6時55分です、6時55……】
俺はようやくベッドから背中を離し、アラームスイッチをOFFにした、そして愛しのトキコとの朝の儀式を楽しむ。
【もう……毎朝、毎朝、世話をかけさせないで下さい……】
「ふぁ~……わかったわかった」
【わかったわかったじゃありませんよ、毎朝毎朝、何度も何度も頭をパコパコ叩かれる身にもなってください】
「ごめんごめん」
【もう……口ばっかりなんだから……】
「ごめんって言ってるじゃん」
【そう言って、また明日の朝、同じことを繰り返すんでしょう?】
「俺、寝覚めが悪いんだよ……」
【あたしは毎朝毎朝、こんなに一生懸命なのに……】
「うん、ありがとうね」
【ホントにわかってるのかしら?……】
「わかってるわかってる」
【わかってる、は一度で充分です、二度繰り返されると本当にわかってらっしゃるのか、疑ってしまいます】
「本当に感謝してるんだよ、カワイイ声で起こされると一日気分がいいからね」
【ま……カワイイだなんて……本気にしますわよ?】
「うん、本当だよ、明日はちゃんと一回で起きるように努力するよ」
【……いいんです……何度でもお起こしするのが目覚まし時計の役目ですから……だからもう一度……】
「明日もカワイイ声で起こしてね」
【ハイ! ……あの……ちょっと声が割れ始めました、そろそろ新しい電池を……】
「うん、わかった、帰りに買ってきて入れ替えてあげるよ」
【お願いします、では、良い一日を……】
「うん、ありがとう」
俺はコーヒーを淹れようと、やかんを火にかけた。
ハンで押したような同じことの繰り返しの毎日にあって、毎朝のこの儀式は一服の清涼剤、明日はどんなやり取りが楽しめるだろう。
当分トキコは手放せないな……帰りにコンビニで一番良い電池を買ってきてやることにしよう、トキコの言うには、高級な電池は電流の味が違うそうだからきっと喜んでくれるだろう、それを楽しみに、今日一日を頑張って乗り切るとするか……。