「ポストマンの歌が聞こえる」スピンオフ 噺家として
「……と言うお噺でございます」
〆の言葉を言いながら頭を下げると。割れんばかりの拍手が降るように降って来た。
俺の名は三琴亭遊花。人情噺の大家と呼ばれている。
「ありがとうございます!」
の言葉に被さるように緞帳が降りて来る。トリの俺が最後の出番だから観客は一斉に席を立ち始めた。完全に緞帳が降りてしまうと、俺の高座を見ていた若手や弟子達が一斉に高座に出て来た。
「師匠お疲れさまです」
口々にそんな事を言ってくれる。
お疲れ? 別に俺は疲れてなぞいない。そうさ、何時も決まりのような高座をしただけなのさ。人情噺には下げが無い代わりに〆の言葉が決まっている。
だけど、噺家ならば、オチを言って観客を笑いの渦に巻き込んで終わらせたいではないか。
そう俺は己の外見もあり、若い頃から落とし噺をやっても、全く受けなかった。真打になって一年経ったが寄席からは披露以外ではお呼びが掛かっていなかった。今は毎年五~十人も真打になるが、披露が終わってもトリを取らせて貰えるのは数えるほどだ。受けない俺なんかが呼ばれる事は無かった。
でも、この外見が問題だった。贔屓筋の赤ん坊をあやして逆に怖がらせて泣かせてしまった事は一度や二度ではなかった。師匠も
「おめえ、どうする? 修行のし直しになるが、すっぱりと落とし噺を諦めて、人情噺一本で行くか?」
前から色々な先輩噺家に言われてはいたのだ。
「あんちゃん顔が怖いから落とし噺は無理だよ。お客が引いちゃうもの。いっそ、人情噺に転向してみればどうだい」
幾人もの人に言われたのだが、唯一師匠だけが
「そのうち良くなりますから、長い目で見てやって下さい」
そう言って庇ってくれたのだった。その師匠が遂に人情噺転向を口にしたのだった。
事態はここまで行ってしまってる事に俺はやっと気がついた。
「なあ、お前だって、そろそろ嫁も欲しいだろう。人並みに暮らしたいだろう」
確かに俺は三十代後半にもなって独身だし、住んでるのは四畳半の安普請の老朽アパートだ。贅沢と言えば、月一で近所のラーメン屋で頼む大盛りチャーシュー麺だけだ。テレビだって兄さんが結婚する時に
「新しいのを買ったから要らない」
と言ったのを貰ったのだ。ブラウン管のテレビだから二千円のデジタルチューナーをホームセンターで買って接続して見ている。たまに映らなくなるが、そこは仕方ないと思ってる。
「どうだい……今なら間に合う」
「今なら間に合う……その言葉は俺には悪魔の誘惑の言葉に聞こえた。そうさ、別に「落とし噺」だけが落語じゃない「人情噺」だって、いや「人情噺」こそが落語の本道だと言われた時期もあったじゃ無いか、人情噺が出来て噺家は一人前。そう言われていたのだ。
「間に合いますかね?」
俺の言葉に師匠はしっかりと頷いた。
それからの俺はあちこちの人情噺を持っている高齢の師匠方の所に稽古に出向き、教えを請うた。必死で稽古をした。
あれから二十五年。俺は今や「人情噺」の大家とも呼ばれている。くすぐったいものだ。若手は毎日のように俺から稽古を受ける為にやってくる。
だが俺は本当は、売れないから少しでも売れる道に逃げただけなのさ。本当は落とし噺で売れたかった。子供から大人まで笑わせて笑顔でお客を帰したかった。今となってはそれが俺のたったひとつの心残り……。
その日は珍しく仕事が無く、俺は家でゆっくりしていた。遂に嫁さんは来なかったがまあ、暮らしには困っていない。寄席も年中トリを取ってるし、大きな落語会にも年中呼ばれている。おまけに「人情噺の大家」と言う名称も貰った。何も求める事は無いはずだった。
庭に出ると空が蒼かった。こんな日俺は、空想の世界に入る。もし、あのまま転向しなかったらどうなるのかと……。
「キーキキーーー」
空想は自転車のブレーキの音で破られた。見ると郵便屋さんの真っ赤な自転車だった。珍しい、今時自転車なんて……何時も来るのはバイクに乗って来ていたのだが……。
郵便屋さんは何処か日本人離れした容姿をしていた。最近は人手不足だから外国人のアルバイトだろうか? そんな事を思っていると
「私はケン・ポストマンと申します。一生に一度『深い後悔を抱えた人』を抱えた方にだけ、過去の自分に手紙を書く事が出来ます。私はそれを配達するポストマンなのです」
彫りの深い顔をした郵便屋さんはそんな冗談みたいな事を言う。
「私には後悔なんてありませんよ」
俺はそう言ったのだが
「それは嘘ですね。あなたは成功しても心の底では後悔してらっしゃる。人情噺に転向した事を未だに後悔なさっているのです。間違っていましたか?」
誰にも言った事はない。亡くなった師匠にも弟子にも一切言った事はなかった。
「どうして、それを……」
「信じて戴けましたか? あなたは昔に帰れるなら帰ってあの時の自分にアドバイスしたいと常々思っていたでしょう。帰る事は出来ませんが、あの時の自分にアドバイスをする事はできます。如何ですか、あの時の自分に手紙を書いてみませんか。便箋と封筒ならこちらにありますよ」
俺は何時の間にか郵便屋さんから便箋と封筒を受け取っていた。そして書き出した
前略
今は芸の道に悩んでいる事だと思います。
売れない自分に嫌気がさしている頃だろうと思います。そして「落とし噺」から「人情噺」に転向しようとも考えていると思います。どうですか当たったでしょう。
確かに転向すれば、怖いと言われる顔も有利に運ぶし、やり手の少ない「人情噺」だから、覚えれば引く手数多になるでしょう。売れて生活にも困る事はなくなります。でもね。それで大事なものを失った事に気がついた時は既に遅いのです。
自分が、どうして噺家になりたかったか思い出しましたか?
自分の噺で皆を笑顔にしたい。世の中を笑いの渦にしたい。そんな思いで師匠の門を叩いた事を忘れた訳では無いでしょう。
あの時の情熱はどうしたのですか? 二十五年後の自分からあなたに忠告します。
決して「落とし噺」を諦めてはいけないと……。
怖い顔も使いようなのですよ。
もう一度考え直して下さい。
未来の自分より
敬具
書いて、封筒に入れた。糊付けをして郵便屋さんに手渡しをする。
「はい、しっかりと受取りました。間違いなく二十五年前のあなたに渡します」
郵便屋さんはそう言って、脂の切れた自転車を漕いで道の向こうに消えていった。
□
夏の日差しが強くなって来た。初夏の寄席では夏祭りが開かれている。この時期は笑いの多い噺を多くしてお客を呼ぶのだ。反対に夏の終わりには怪談噺や人情噺の会が開かれる。
帽子を深く被った俺の脇を寄席に向かうのだろう、噺家の噂をしながら俺を抜いて行く二人連れがいた。
「誰がお目当て?」
「遊花に決まってるだろう。あの顔を見て笑いで暑さを吹き飛ばすのさ」
「全くだ。あの顔を見ないと夏が来ねえ」
「顔だけじゃ無いだろう。噺だって見事なものさ」
「ああ、人を泣かせるのは誰でも出来るが、笑わせるのは並大抵では無いからな」
「おおよ。おい急ごうぜ、席が埋まっちまう」
二人はそう言うと俺を追い抜いて行った。
〆の言葉を言いながら頭を下げると。割れんばかりの拍手が降るように降って来た。
俺の名は三琴亭遊花。人情噺の大家と呼ばれている。
「ありがとうございます!」
の言葉に被さるように緞帳が降りて来る。トリの俺が最後の出番だから観客は一斉に席を立ち始めた。完全に緞帳が降りてしまうと、俺の高座を見ていた若手や弟子達が一斉に高座に出て来た。
「師匠お疲れさまです」
口々にそんな事を言ってくれる。
お疲れ? 別に俺は疲れてなぞいない。そうさ、何時も決まりのような高座をしただけなのさ。人情噺には下げが無い代わりに〆の言葉が決まっている。
だけど、噺家ならば、オチを言って観客を笑いの渦に巻き込んで終わらせたいではないか。
そう俺は己の外見もあり、若い頃から落とし噺をやっても、全く受けなかった。真打になって一年経ったが寄席からは披露以外ではお呼びが掛かっていなかった。今は毎年五~十人も真打になるが、披露が終わってもトリを取らせて貰えるのは数えるほどだ。受けない俺なんかが呼ばれる事は無かった。
でも、この外見が問題だった。贔屓筋の赤ん坊をあやして逆に怖がらせて泣かせてしまった事は一度や二度ではなかった。師匠も
「おめえ、どうする? 修行のし直しになるが、すっぱりと落とし噺を諦めて、人情噺一本で行くか?」
前から色々な先輩噺家に言われてはいたのだ。
「あんちゃん顔が怖いから落とし噺は無理だよ。お客が引いちゃうもの。いっそ、人情噺に転向してみればどうだい」
幾人もの人に言われたのだが、唯一師匠だけが
「そのうち良くなりますから、長い目で見てやって下さい」
そう言って庇ってくれたのだった。その師匠が遂に人情噺転向を口にしたのだった。
事態はここまで行ってしまってる事に俺はやっと気がついた。
「なあ、お前だって、そろそろ嫁も欲しいだろう。人並みに暮らしたいだろう」
確かに俺は三十代後半にもなって独身だし、住んでるのは四畳半の安普請の老朽アパートだ。贅沢と言えば、月一で近所のラーメン屋で頼む大盛りチャーシュー麺だけだ。テレビだって兄さんが結婚する時に
「新しいのを買ったから要らない」
と言ったのを貰ったのだ。ブラウン管のテレビだから二千円のデジタルチューナーをホームセンターで買って接続して見ている。たまに映らなくなるが、そこは仕方ないと思ってる。
「どうだい……今なら間に合う」
「今なら間に合う……その言葉は俺には悪魔の誘惑の言葉に聞こえた。そうさ、別に「落とし噺」だけが落語じゃない「人情噺」だって、いや「人情噺」こそが落語の本道だと言われた時期もあったじゃ無いか、人情噺が出来て噺家は一人前。そう言われていたのだ。
「間に合いますかね?」
俺の言葉に師匠はしっかりと頷いた。
それからの俺はあちこちの人情噺を持っている高齢の師匠方の所に稽古に出向き、教えを請うた。必死で稽古をした。
あれから二十五年。俺は今や「人情噺」の大家とも呼ばれている。くすぐったいものだ。若手は毎日のように俺から稽古を受ける為にやってくる。
だが俺は本当は、売れないから少しでも売れる道に逃げただけなのさ。本当は落とし噺で売れたかった。子供から大人まで笑わせて笑顔でお客を帰したかった。今となってはそれが俺のたったひとつの心残り……。
その日は珍しく仕事が無く、俺は家でゆっくりしていた。遂に嫁さんは来なかったがまあ、暮らしには困っていない。寄席も年中トリを取ってるし、大きな落語会にも年中呼ばれている。おまけに「人情噺の大家」と言う名称も貰った。何も求める事は無いはずだった。
庭に出ると空が蒼かった。こんな日俺は、空想の世界に入る。もし、あのまま転向しなかったらどうなるのかと……。
「キーキキーーー」
空想は自転車のブレーキの音で破られた。見ると郵便屋さんの真っ赤な自転車だった。珍しい、今時自転車なんて……何時も来るのはバイクに乗って来ていたのだが……。
郵便屋さんは何処か日本人離れした容姿をしていた。最近は人手不足だから外国人のアルバイトだろうか? そんな事を思っていると
「私はケン・ポストマンと申します。一生に一度『深い後悔を抱えた人』を抱えた方にだけ、過去の自分に手紙を書く事が出来ます。私はそれを配達するポストマンなのです」
彫りの深い顔をした郵便屋さんはそんな冗談みたいな事を言う。
「私には後悔なんてありませんよ」
俺はそう言ったのだが
「それは嘘ですね。あなたは成功しても心の底では後悔してらっしゃる。人情噺に転向した事を未だに後悔なさっているのです。間違っていましたか?」
誰にも言った事はない。亡くなった師匠にも弟子にも一切言った事はなかった。
「どうして、それを……」
「信じて戴けましたか? あなたは昔に帰れるなら帰ってあの時の自分にアドバイスしたいと常々思っていたでしょう。帰る事は出来ませんが、あの時の自分にアドバイスをする事はできます。如何ですか、あの時の自分に手紙を書いてみませんか。便箋と封筒ならこちらにありますよ」
俺は何時の間にか郵便屋さんから便箋と封筒を受け取っていた。そして書き出した
前略
今は芸の道に悩んでいる事だと思います。
売れない自分に嫌気がさしている頃だろうと思います。そして「落とし噺」から「人情噺」に転向しようとも考えていると思います。どうですか当たったでしょう。
確かに転向すれば、怖いと言われる顔も有利に運ぶし、やり手の少ない「人情噺」だから、覚えれば引く手数多になるでしょう。売れて生活にも困る事はなくなります。でもね。それで大事なものを失った事に気がついた時は既に遅いのです。
自分が、どうして噺家になりたかったか思い出しましたか?
自分の噺で皆を笑顔にしたい。世の中を笑いの渦にしたい。そんな思いで師匠の門を叩いた事を忘れた訳では無いでしょう。
あの時の情熱はどうしたのですか? 二十五年後の自分からあなたに忠告します。
決して「落とし噺」を諦めてはいけないと……。
怖い顔も使いようなのですよ。
もう一度考え直して下さい。
未来の自分より
敬具
書いて、封筒に入れた。糊付けをして郵便屋さんに手渡しをする。
「はい、しっかりと受取りました。間違いなく二十五年前のあなたに渡します」
郵便屋さんはそう言って、脂の切れた自転車を漕いで道の向こうに消えていった。
□
夏の日差しが強くなって来た。初夏の寄席では夏祭りが開かれている。この時期は笑いの多い噺を多くしてお客を呼ぶのだ。反対に夏の終わりには怪談噺や人情噺の会が開かれる。
帽子を深く被った俺の脇を寄席に向かうのだろう、噺家の噂をしながら俺を抜いて行く二人連れがいた。
「誰がお目当て?」
「遊花に決まってるだろう。あの顔を見て笑いで暑さを吹き飛ばすのさ」
「全くだ。あの顔を見ないと夏が来ねえ」
「顔だけじゃ無いだろう。噺だって見事なものさ」
「ああ、人を泣かせるのは誰でも出来るが、笑わせるのは並大抵では無いからな」
「おおよ。おい急ごうぜ、席が埋まっちまう」
二人はそう言うと俺を追い抜いて行った。
作品名:「ポストマンの歌が聞こえる」スピンオフ 噺家として 作家名:まんぼう