ひとときの安息
「いや、一般人だ。私達も結婚式に呼ばれたが、それは綺麗な女性でな。ロートリンゲン大将は妻まで一級の美術品を選んだ――と当時は噂になったものだ」
愛妻家だという話は聞いたことがあったが、その話は初めて聞いた。そうなると、やはり縁談話から拗れて仲が悪くなったということか。まあ、俺には関係の無いことだが――。
「ジャン。君ももう解っているだろうが、ロートリンゲン大将はフォン・シェリング大将と……、否、これまでの軍の上層部の人間と一線を画する人物だ。敵も多いが、慕う人間も多い。……実を言えば、私には自信があった。ロートリンゲン大将が君のことを知れば、必ず後ろ盾になってくれるとな」
「アントン中将……」
「これからの軍は君のような人間が指揮していく方が良い。一部の軍人達の機嫌取りばかりに気を取られることなく、忠実に執務をこなして実績を積み上げる君のような人物がな。ロートリンゲン大将もそうお考えだ」
アントン中将は微笑みながら、愛犬ジャンの頭を撫でる。ジャンは主人であるアントン中将を見上げ、嬉しそうな表情を浮かべていた。
「ロートリンゲン大将御自身も軍を変えようとしたのだが、猛烈な反対にあってそれを成し遂げられなかった。だが、彼が育てた人材達が居る。ジャン、君が上層部に名を連ねる頃には今と情勢が大分変わっている筈だ」
「ですが私のような人間が、ロートリンゲン大将の御意志に添えるかどうか……」
「期待したからこそ、君を昇級させたんだ。ジャン、誤解をしているようだが、ロートリンゲン大将は見込みの無い人間を昇格させはせんぞ」
昇級を頼みにいった将官が叱責を受けたうえ、ついに推薦人となってもらえなかったという話もあるからな――と、アントン中将は笑いながら言った。だから、敵も多いのだ、と。
「私の知る限り、ロートリンゲン大将の考える軍の理想像と、君の望む軍の姿は一致している筈だ」
「アントン中将……」
アントン中将は一度此方を見て微笑し、それからひとつ咳払いした。
「確りしろ、ジャン・ヴァロワ少将!」
久々の叱責の声に思わず背を正す。アントン中将は俺を真っ直ぐ見つめた。
「今後は良き後輩に恵まれる筈だ。ロートリンゲン大将がそのように人材を育成してきたのだからな。私の代は昇級争いばかりで詰まらなかったが、君の代には大分変わってくる。私は今退役し、士官学校の講師だけは続けているが、なかなか面白い人物が数名いるぞ」
この日、アントン中将へ昇級の報告を終えてから、夕食を共にし、陽が暮れてから辞した。
今年退職したアントン中将は、長閑な今の生活を楽しんでいるようだった。朝起きて、愛犬ジャンと共に散歩に行き、庭の手入れをしたり、趣味の硝子細工に勤しんだりと、毎日を満喫しているらしい。休暇となると姪が来るんだ――と嬉しそうに話していた。
アントン中将の姪とは私も一度会ったことがある。まだ幼い少女で、アントン中将はまるで自分の孫のように可愛がっていた。来月も遊びに来るらしい。
面倒事は若い者達に任せた――と言いながら、アントン中将は豪快に笑っていた。
果たして自分が期待されるに足る人物だろうか――、そんなことを考えながら、帝都への道程を戻っていった。