お葬式
人は誰でも歳をとる。ごく当たり前のことだが、現実として突きつけられる年齢になり、初めて私は焦りを感じた。
セーラー服に身を包み、毎日笑い転げていた頃、友だちと話したものだった、私たちが四十のオバサンになるなんて信じられないよね~と。
それがいつの間にか、四十どころか還暦に手が届く歳になっていた。親はすでに他界し、夫も白髪交じりの風貌に。とも白髪まで一緒にいられるといいね、なんて言っていた新婚時代、そんな日が来るのはまだ遠い遠い先、そう思えたから言えたのだ。自分たちだけは歳を取らない、そんな不思議な確固たる自信をもっていた気がする。
人は誰でも、今日は死なないと思って生きている。もし死ぬかもしれないと思ったら一日だって生きていけないだろう。根拠のない自信、究極のポジティブ精神があってこそ人は生きられる。
そんなことを考えていた矢先、急な知らせが届いた。昔からの親友が突然この世を去ったという。えっ、そんな……
深い悲しみとともに一気にネガティブ精神が襲ってきた。
がっくりと肩を落として参列した葬儀で、たくさんの懐かしい顔に出会った。
こういうことでもなければ再会することもなかったであろう友人たち。悲しみの中、故人の思い出話とともに、昔話に花が咲いた。遺影の中の親友も、トレードマークのえくぼを浮かべ、話の輪に加わっているような錯覚を覚えた。いつしか場は和み、当時は辛かったことも笑い話に変わっていた。歳をとるのも悪くない、そう思えた。
結婚式が、列席する人たちに出会いの場を与え、幸せに導くように、葬式もまた、故人の導きで友人たちを再会させ、生きていく勇気を与えるのだ、と気がついた。いつか、私の番が来たら、自分の葬式の様子を会場の上からながめてみたいと思った。そしていとおしい顔に別れを告げ、名残を惜しみたい。
私はふと、そんな話を昔、誰かとしていたような気がした。そうだ、中学生の時、修学旅行の夜だった。
「私ね、自分のお葬式を上からながめるの。そして、お坊さんの頭を木魚みたいに叩いちゃうから見に来てね。だから笑って、絶対に泣いちゃだめだよ!」
星空を見上げてそんなことを言いだす親友のえくぼを、私は不思議な思いで見つめていたっけ……
その時だった。読経を終えた年配の僧侶が立ち上がろうとしてよろめいた。そして、ちょうどそこにあった木魚にぶつかりそうになったが、彼はそれをうまく避けて転んだ。ところが、気恥ずかしそうに立ち上がろうとした僧侶の頭が、今度は見事に鐘に当たり、
ゴ~~ン~
式場中に妙な音がこだました。周りの人たちが下を向いて笑いをこらえる中、私は上を見上げた。
すると涙の向こうに、中学時代の親友の笑顔が見えた気がした。