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その日までは

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義兄の場合

     
 飲食街のいつもの店で、恵子の夫、中谷和也は、桜井道子とビールを飲んでいた。
 道子は高校時代の同級生だが、当時は仲の良いグループにいたというだけで、互いに特別な感情は持っていなかった。しかし、二年前の同窓会で顔を合わせたのをきっかけに、ふたりで会うようになっていた。
 道子にも家庭があり、夫とひとり息子がいた。しかし、夫婦仲が冷め切っているという悩みを抱えていた。
 同窓会後も連絡を取り合うようになり、何度か会ってそんな悩みを聞いているうちに、二人の距離はしだいに近づいていった。そして、和也自身が抱えている家庭での不満を口にする頃には、互いを特別に思うようになっていた。
 和也は、まるで婿同然のような今の暮らしに、家庭という安らぎを感じることができないでいた。そして、恵子の言うがままに同居に踏み切ってしまったことを今さらながら後悔していた。
 幸治も万里子も、自分に対して何かと気遣ってくれているのはわかる。でも、自分はマスオタイプではない。いまだこの環境に馴染めず、気疲れの日々が続いていた。


 恵子とは職場の関係先で知り合った。てきぱきと仕事をこなし、自分の意見を持った芯の強さに惹かれた。
 首尾よく交際にこぎつけ、彼女とならしっかりとした家庭を築けると確信した頃、結婚を申し込んだ。家事は苦手だとは聞いていたが、今時家事の分担などは当たり前のことで、もとより妻を専業主婦として家に閉じ込めるつもりなどなかった。恵子もずっと仕事を続けていきたいと強く思っていた。
 こうして、二人の青写真は一致し、結婚に至った。それからしばらくは互いに協力し合い、生き生きと仕事をし、夫婦仲よく順調な結婚生活が続いた。
 しかし、長女が生まれると、二人だけの時のようなわけにはもちろんいかなくなる。恵子は困ると、姑の万里子を呼びつけるようになった。働きながらの子育ては大変なのだからと、初めのうちは和也も理解し、仕方ないことだと思った。
 しかし、二人目ができると、今度は同居話まで持ち出してきた。和也は同居など考えたこともない。まったくの問題外だ。そもそも長男の潤也がいるのにどうしてそんな話になるのだと跳ね除けた。
 万里子に手伝いに通ってもらうような一時的なことではない。婿養子でもないのに、どうして同居なんて話になるのだ! 自分は長男ではないが、田舎の両親だって快く思うわけがない。
 恵子にはそういう気遣いなど微塵もなかった。それどころか、恵子の中では既に決まったことなのだろう。何を言っても一切聞く耳を持たない。仕方なく和也は見方を変えて考えた。
 このまま二人目が生まれれば、今以上に万里子を呼びつけるようになるのは目に見えている。それに、家事育児の更なる協力の矛先が自分に向かうのも容易に想像がつく。
 それなら、どうせ寝に帰るだけだと思い、今回は同居することにするしかないだろう。いずれ潤也が結婚でもすれば、その時また状況が変わるかも知れないのだ。そう思い、和也は渋々了承することにした。
 しかし、やはり、妻の実家というのは決して居心地のいいものではなかった。どこか、妻にさえ引け目を感じてしまう。のびのびと暮らしている恵子や子どもたちを尻目に、和也の不満は溜まっていった。


 そんな時、道子と出会い、和也は心の安らぐ場所を得た。そして、この春、驚く報告を聞いた。道子が離婚したというのだ。
 和也の胸に、複雑な感情が渦まいた。折しも、妻の弟、潤也の結婚話が決まった頃だった。結ばれるものあれば、別れるものもある……
 そして、道子が自由の身になったということは……
 母子家庭となった道子をひとり、飲みに連れ出すことはできないので、ある休みの日、和也は、道子と彼女が引き取った一人息子と三人で出かけた。休日に、仕事だと偽って家を空けたのは初めてのことだった。
 七歳になるその男の子を連れ、三人で戦隊物の映画を観に行った。娘しかいない和也にとって、その状況は新鮮で、同性の子どもを持つという魅力を肌で感じた。その子はとても人懐こく、その日のうちにすっかり和也に打ち解けた。それから何度か、道子の部屋で三人で楽しい時を過ごした。
 自分の今住んでいる家は、あくまでも妻の実家だ。その上、娘たちは口が達者になり、まるで妻の分身のようだ。そこに自分の居場所などない。道子親子といる時の方が気が休まるというのに、こんな生活を続ける意味があるのだろうか?

作品名:その日までは 作家名:鏡湖