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その日までは

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<序章> 婚約

 
 春の晴天に恵まれた大安のこの日、ある結婚式場の一室で、向かい合う二組の親子がいた。いわゆる、両家顔合わせというおめでたい席である。
 昔は、仲人が新婦の家へ出向き、結納品を届けて口上を述べるという形式だったが、今や、仲人など立てることは少なくなり、ホテルなどでの食事会で両家が挨拶を交わし、それをもって婚約とする形が多くなった。
 
 この日、その行事に臨んでいるのは、真田幸治 ・万里子夫婦の長男、潤也と、三浦芳郎・友江夫婦の長女、晴香だった。
 ダークスーツ姿の幸治と潤也に挟まれて、光沢のあるベージュのスーツに身を包んだ万里子が座っている。その前にある大きなテーブルを挟んで、同じくダークスーツ姿の芳郎と、真ん中にはうぐいす色の和服姿の友江、そしてその隣には、華やかな桜色の振袖姿の晴香が、緊張気味に座っていた。
 
 
 真田潤也、三十歳。婚約者の三浦晴香とは、友人の紹介で知り合った。三つ年下の晴香とは、初めて会った時に結婚するような気がした。
 男も三十歳ともなれば、交際の経験は当然何度かあった。その誰とも、結婚まで結びつかなかったのは、若かったということもあるだろうが、やはり、生涯を共にするというところまでの決心が持てなかったからだろう。
 ところが、去年、晴香に出会った時、すんなりとその決心がついた。これがタイミングということだろうか? この機会を逃したら、しばらくは、いや、もしかしたら一生結婚などする気にならなかったかもしれない。
 だからと言って、晴香がとても魅力的な女性かと言うと、取り立ててそういうことはなかった。それまで付き合ってきた女性と比べ、とりわけ美人だとか、気立てがいいというわけでもない。でも、なぜか潤也は、この女性だと思った。目には見えない赤い糸で結ばれていたのだろうか?
 
 晴香は、初めて潤也を紹介された時、今日限りの人だと思った。
 もう、自分は二十七歳になるというのに、いつになったら結婚できるのだろうと、心の中でため息が出た。友だちの半数は、もう結婚していた。残りの半分のその半分は一生独身でいいと思っているようだが、自分は違う。結婚願望組の中の次こそは自分の番でありたい、と切実に思っていた。
 そんな時に、友人がいい男性を紹介してくれるというので、当然期待を持って出かけたが、潤也と過ごす時間は、結婚相手を探す道のりがまだまだ続くと感じさせるものだった。
 ところが、その日の帰りに事態は一変することとなる。
 潤也に送られて自宅近くまで来た時だった。暗がりに入った瞬間、晴香は突然キスをされた。一瞬のことで、拒絶する暇もなかった。軽く唇を触れただけだったが、あまりの驚きに呆然とたたずむ晴香を残し、じゃ、また連絡するよ、と片手を挙げて、潤也は帰って行った。
 なぜだか、辺りには爽やかな空気が漂っていた。不思議な感覚に包まれた晴香は、何事もなかったように去って行く潤也の後姿を見えなくなるまで見送った。
 そして、赤い糸で結ばれているのはこの人かもしれない、晴香はそう思った。
 
 
 自己紹介から始まる挨拶の頃は緊張感に包まれていたが、料理を食べながらの歓談に入ると、和やかな雰囲気に変わっていた。そして、お酒がまわってくる頃には、時おり笑い声が部屋にこだまするようになった。ガラス越しには美しい庭が見える。快晴とあって、庭の花々も輝いて見えた。
 デザートを食べ終えたところで、潤也から晴香へと、婚約指輪の贈呈というイベントが行われた。それが終わると、一同は先ほどまでガラス越しに眺めていた庭に出て、記念写真を撮った。
 こうして、無事、滞りなく婚約が整い、緊張の一日は終わった。後は、この秋の挙式を待つだけだった。
 ふたりはこれからそれに向かい、いろいろ準備に追われることとなる。しかし、周囲の人たちもそれぞれにある想いを抱えていた。
 そう、その日までは……と心に秘めて。

作品名:その日までは 作家名:鏡湖