死にたい (1)
途中で雨が降って来た。4月の桜の季節。冷たい雨が、5分咲きの桜の花弁を伝って落ちて来た。少しは、雨宿りになるかと、駆け込んだのだ。
見上げた君の顔に滴が落ちて、君の涙と混じりあった。ぼくは初めて君のほほに手を触れた。その涙を指先で拭った。このくらいのことで、君の『死にたい』気持ちを変えられるとは考えてもいなかったが、君の表情は桜の花のように紅潮した。
ぼくは初心なんだと感じた。雨は止むどころか、強くなってきた。ぼくは花見客が捨てて行った、レジャーシートを拾い、君の頭を覆った。君は右手でそれを掴んだ。黄色と青の縦じま模様である。海水浴にも使ったのかもしれない。耳の方はすり切れていた。とは言え、今のぼくたちには、貴重な存在なのだ。君はぼくの腰のあたりに手を当てた。ぼくの左の手はシートを掴んでいて、右の手は頭に触れないようにとシートを持ち上げていた。もちろん君の肩を抱えたい気持ちもあったが、雨に濡れないことが先決であった。
アパートの部屋に入ると、衣類を乾かしたかったが、すでに石油ストーブはかたずけてしまった。エアコンは冷房だけだった。あるだけのタオルを出し、君に渡した。
「ドライヤーある」
「気付かなかった」
ぼくはドライヤーをコンセントにつないだ。
君は髪を乾かしだした。
「死にたい」と言った君の言葉はどこかに消えたのかもしれないと、ぼくは感じた。
君はきっと毎日生まれ変わる人なのだろうと、君の髪からひらりと落ちた桜の花弁を観ながら思った.
君はそれからぼくの部屋の住人となった。
「そんな頭にして困るだろう」
「死んでしまったら困らないから」
そんな事を言いながら、かつらを被りどこかにと出かけた。雨宿りした時の、ロングの黒髪は無い.
君はこの部屋には戻ってこないかもしれないと、ぼくは直感した。死にたいと君はぼくに言葉を残したままなのだろうか?