旅立ちの時
幼い息子の手を引きながら、父は言った。
「春は、旅立ちの時だ」
公園に、卒業式を終えてきたところだと思しき、黒い筒を握った中学生たちがいた。
「あのお兄さんお姉さんたちがあの服を着るのも、今日が最後なんだよ」
「そうなの?」
幼い息子の問いに、父は答えた。
「あのお兄さんたちお姉さんたちは、これからもっと上の学校で勉強したり、お父さんみたいに、会社で働いたりするんだ」
公園を抜けると、堤防に、草を食む者たちがいた。
「カモさんがいっぱい!」
「そうだね。ところで、このカモたちもああやって一生懸命食べて力をつけて、近々ここを飛び立つんだよ」
「どこへ行くの?」
幼い息子の問いに、父は答えた。
「北へ向かって、ずうっと、ずうっと遠いところだよ。海の向こうの、外国まで飛んでくんだ」
堤防を歩くと、黄色い花が咲いていた。
「たんぽぽも、そのうちに、白いふわふわの綿毛を付ける。飛ぶやつは、十キロぐらいは飛ぶそうだ」
「それってどれぐらい?」
幼い息子の問いに、父は答えた。
「そうだなあ……うちから動物園ぐらいだな」
「すごい! そんなに遠くまで行くんだ!」
父は、その勇躍を思い描きながら、我が息子を見つめて言った。
「おまえにも、旅立ちの時が必ず来る」
そして三十年後、たんぽぽの綿毛が飛び立ったかのように、かつての少年の頭は禿げた。
【完】