フィラデルフィアの夜に10
ぴーん、とだけ鳴る単純な音だったそれは、次第に次第に様々な音階を持つように変化していきました。
音の元、それはただの針金でした。
残骸より数センチ伸びる、針金です。何の変哲もない、針金のはずでした。
それは一体どの位昔からあったのか、わかりません。
ただ、偶然たまたま針金が虚空に伸びていただけ。
あるの日の夜、ぴん、と少し撫でて音が。
それは子供の手。夜に迷子になった子供の。
危険な夜。さまよい歩く内に、触れました。
ぴん。
それは夜の街にはない音で。
ぴん。
一瞬、気持ちを晴らす音で。
ぴん。
いつまでも鳴らしてみたい、そう思える軽妙な音で。
小さい手が、幾度も触れ続け。
音が、増えていきます。
どこを弾けば、どんな音が鳴るのか、分かるように。
わずか数センチ。
聞いた事のある音楽、自由に演奏さえも。
その子にはそう思えて、弾き続けて。
その子だけの音楽、街の喧噪に溶けるまでの空間に。
充実したリサイタルが。
でもそれは突如として終わります。
その子を探す声が、リサイタルに入り込んだから。
夜。
残骸から伸びる針金。
もう誰も触れる事がないであろう、物体。でも。
ぴん。
独りでに。
ぴん。
軽妙に。
ぴーん。
あの子が鳴らした、音楽。
鳴らし始める。
誰も知らないリサイタル。
夜の喧噪に溶けてなくなる、リズム。
夜、次第に複雑になる音楽。
ただの針金から。
誰かが、その音に気付きました。
耳を澄ませ、マイクで音を収集し、聞き取って。
誰が何のために演奏しているのか、探そうとします。
でも、探すには街はうるさく、わからないまま。
針金は、ひととき意味を与えられた針金は。
その時の意味のまま、奏で続けました。
作品名:フィラデルフィアの夜に10 作家名:羽田恭