幸福と不幸、喜びと悲しみを人間はなぜか対極的にそしてプラスかマイナスと判断する。しかし喜びも悲しみも両方物事において等価価値であるはずである。だが人間には感情というおぞましい巨大なそれでいて目に見えない物、機械でいうところのエンジンというべきものによってすべての物事は喜びと悲しみに分別される。そしてそのエンジンは喜びというものをガソリンとして動き出す。そして喜びでしか動かないそのエンジンは悲しみのガソリンを挫折というガソリンに変えてしまうのである。そしてまたそのエンジンは喜びのガソリンをとりいれ動き出すのである。そして悲しみのガソリンを挫折のガソリンに変えれなかったときそのエンジンは動くのをやめるだろう。