転校
「転校、することにしたよ」
ベッドに横たわるアイツの表情を、俺はよく覚えていない。
かなたは転校した。
本当にあっけなかった。
五月の曇天。地獄のように蒸し暑い日。ホームルームでの担任の連絡を聞き流しながら、空を眺めていた。
せめて雨でも降ってくれればまだいくらか涼しくなりそうなのに。だいたい、中学校ってのは本当に融通のきかない所だ。衣替えはまだだから学ランを着ろって。馬鹿らしい。
視線を教室に戻すと、そんな学ランとブレザーの真っ黒な背中たちがざわざわと揺れていた。「転校だってよ」そんな言葉が聞こえて、俺はなんの連絡を聞き逃したのかを悟った。
あっけないな。
少しの間、クラスメイトたちはかなたのことを話題に挙げていたけれど、チャイムがなってホームルームが終わると、みんな、仮入部や塾や週末の予定なんかの話題に移っていった。当然だ。転校なんてありふれているのだから。
それでも、そんな流れに俺はついていけず、気がつくと教室に一人、取り残されていた。
別に、なにを思っているわけじゃない。
なのに、なぜかここから動けなかった。
ガラリ、と教室の扉が開いた。誰かが戻ってくるとは思ってなくて少し驚く。入ってきた女子も、人がいると思っていなかったのか、俺を見てびっくりしたように固まった。
彼女はたしか、学級委員の、だめだ、名前を思い出せない。きっと委員の仕事があったのだろう。放課後まで大変だな。
そんな安っぽい同情を感じつつ、教室を出ていこうとした。
「待って!」
今度はとても驚いた。急に呼び止められたから、ではない。その声の響きが切実だったからだ。
「かなたの友達だよね。私、見かけたことあるの」
かなた。
この女もアイツと知り合いなのか。記憶を辿るが、俺のほうは全く見覚えがない。思い出すのは、かなたのこと。最後の会話。西日に染まる真っ白な部屋と、かすみがかった表情だけ。
「それがなにか?」
連想を断ち切るように、鋭く言葉を返す。それを受けて彼女は身体を竦ませたけれど、奮い立つように声を張り上げた。
「あんたはいいの? あんなあっさり、事務伝達みたいに、かなたのこと、終わりにしちゃって」
終わり。
そうだ。最後、かなたは笑っていた。「終わりじゃないよ。だって、転校なら、また会えるかもしれない」
そう、馬鹿みたいに、無邪気に。
「もっと、みんなに知ってもらわなきゃいけないこと、あるじゃない。転校だなんて……もっと、私たちにできること――」
「千羽鶴でも折ろうっていうの?」
刺すように言葉を重ねる。彼女は今度こそ蒼白になった。
「おおげさなんだよ。かなたは、転校しただけなんだから」
言い聞かせるように、俺は言った。