後悔のしない人生を。1
私は当時高校4年生(定時制)だったため高校生活を4年間送った、
学校生活では問題なく普段通りの生活だった。
高校3年生の頃、学校から帰宅すると母が泣いていた、また夫婦喧嘩でもしたのかと思ったが母の一言で一気に血の気が引いた。
祖母が肺癌と診断されたそうだ、初め聞いたときはびっくりした、まさかなと思い母にいろいろ聞いた。
祖母は昔からラーメンが好きで、よく味噌ラーメンを食べていた。だが、麺を啜れなくなったという、おかしいと思い病院に行き、
検査を受けた結果が肺癌だった。
その日から祖母の闘病生活は始まり、1か月2か月と過ぎていき肺癌は小さくなったという。 何度か通院を行っていた。
同時期、私の姉が子供を授かり祖母のひ孫が誕生し、世話を祖母の家で祖母と母と姉でやっていた。
その頃には祖母も元気になっていた。
子供の世話などをある程度覚えた姉は祖母の家から、自分の家へと帰ってしまった。祖母や母は少々寂しがっていた。
祖母は市営住宅で独り暮らしであった。 私は、父と母と私という3人で暮らしていた。
ある日、突然祖母の家から電話が来た。 1月という寒い日の午後11時頃だったと思う。
何だが話している母が困惑している、どうしたのかと尋ねると、
「ばあちゃんがなんだか様子がおかしい、ストーブにヤカンの水をこぼしてストーブが消えた」
というもので、すぐに祖母の家に向かった、祖母の家までは約1kmですぐ行ける距離だった。
到着するや、祖母は家の鍵と鎖を付ける人で鍵を開けても入れない。
祖母に鎖をとるように言うが、なかなか取れない母は
「お酒でも飲みすぎたのでは」
と言って落ち着くように祖母に促した。
寒い中5分ほど待ってやっと鎖を外すことができた。 家の中の様子を見ると、すごい状態だった。
ストーブの周りは水浸しでストーブも消えていて寒い。 部屋の温度は2℃位だったと思う。
祖母の様子がおかしい、それは見ればわかる状態だった。 聞くとお酒はほんの少ししか飲んでいない。
薬を飲んでから寝ようとしたらしい。
まっすぐ歩くこともできず、すぐに転んでしまう。かなりまずい状態ですぐに祖母を寝かし、帰宅した。
帰宅する前、私は脳か何かに異常があるかもしれないとボソッっと言った。 後日病院に行くように促した。
病院に行ったと連絡が来た、肺癌の転移が脳に確認されたらしい、それを聞いたときさすがにもうだめかと覚悟した。
再び闘病生活の開始だ、抗がん剤などで髪は抜けやや衰弱したように見える、今までの祖母の雰囲気とは違っていた。
約一か月後2月中旬だったと思う、脳に転移したがん細胞は小さくなりほぼ無いという状態まで回復、しかしまたもや転移が見つかった。
次は肝臓に転移が見つかり、祖母はどんどん衰弱していった。
時々来る姉のひ孫を見ると抱っこしたりして笑顔を見せた。 しかし3月中旬祖母は亡くなった。
病院から電話が来たのが朝の1時ごろ父と母はお酒を飲んでいて車を運転できずタクシーを使用した。
病院に着くころにはもう祖母の息はなかった。 祖母の顔を見た瞬間今までの思い出や怒られたことを思い出した。
今までで一番悲しんだと思う。祖母は私と姉を厳しく育ててくれたからだ。
後に親戚が集まり、葬式などの段取りを話し合い祖母が希望していた、【お金のあまりかからない】葬式を行った。
もっと傍にいてあげたかったと2年たった今でも公開している。
作品名:後悔のしない人生を。1 作家名:ロシア人形