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偏屈男からの偏屈義理お礼

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彼の第一印象は、ものすごくよかったのです。数か月前この職場に入って初めて彼を見かけた時には、そのパリッとしたスーツ姿に、恋人募集中の私は「フリーでよかった!」と小躍りしたぐらいだったのです。彼はまるで、阿部寛さんのようでしたから……。
 が! 着々と露見するのですが、私と同じく指輪の無い彼は、どう甘くて見ても偏屈でした。阿部寛さんは阿部寛さんでも、昔放送されたドラマ『結婚できない男』に登場する、偏屈な阿部寛さんだったのです。
 お正月明け、上司が旅行のお土産でマカダミアナッツを持ってきてくれたんです。ただ、私にはナッツアレルギーがあって、そういうものは食べにくいんですね。すると彼は、
「Yさんのおかげで、これまで気付かなかった幸せを僕が既に持ってるのに気付かされたなあ」
などと言いながら、私のぶんまで満面の笑顔で頬張りました。
 いじりというものを私も理解しているつもりですが、いじられる側が本当に嫌になるようではだめですよね。ええ、私って男運が無いんです。前の彼氏もどうしようも無いだめ男でしたから、私も精神的経済的自立に努めているところです。
 他には、こういうこともありました。私は手荒れになりやすくて、職場でもハンドクリームを塗ることがあるんです。それを彼も知っているから、前にパソコンの不具合を見てもらおうと思って彼に頼んだら、
「Yさんのキーボードって、ベタベタしてそうなんだよなあ」
ってやかましいわ! 好きで手荒れなんてなるか! このド無神経が、妙に良い血色しくさって……とは、私ももう人間ができておりますから決して口には致しませんが、たびたびこういうことがあって、彼に対する評価も私の中でガクン、ガクン、ガクンガクンガクンと下がるばかりだったのです。
 というわけで、バレンタインデーがやってきた時にも、彼には粗末な義理チョコをくれてやっただけでした(ええ、同僚の女性陣からも同じだったようです。いい気味!)。
 と、彼は偏屈そうに笑いました。
「これは、お返しをしなければいけないんですね。少し考えておきます」

 その翌週です。ひとしきり仕事の話をして途切れたところで、彼が言いました。
「そういえばお返しのことですが」
「え?」
「義理チョコの義理お礼ですよ。普通の人はあまり買わない物を考えてます」
「へ~……何ですか?」
「今のYさんに必要な物ですよ。まさにマルマル、って感じのやつです」
 これはまた、何か偏屈な感じのいじりが始まったような……
「当日のお楽しみです」
 ……この時の私には、彼が何を企んでいるのか、さっぱり見当が付きませんでした。

 というわけで、ホワイトデーがやって来ました。午後の始業の前でした。
 いえ、別に期待なんてしていません。私は恋愛ニートなのです。花粉症の季節が来まして、日々鼻をズルズルする冴えない女でございます……という私に、素っ気ない顔で、彼はこう切り出しました。
「義理チョコの義理お礼を持ってきました。まさにエッチなやつです」
「……は?」
 な、何この急展開? 言っていることが、明らかにおかしい……
「前に、『まさにマルマル』って言いましたよね? 『まさにエッチ』なんですけど」
「ええ~? それ、ヒくんですけど」
 そう、ヒくって! ヒくヒく! ド非常識だとはずっと思ってたけど、これ、はっきり言わないと解らない人かしらん?
「要らないです」
 すると、彼はうれしそうに言いました。
「今のYさんに必要じゃないですか? アルファベットの『V』で始まる物なんですけど」
 『V』って、ヴァヴィヴヴェヴォの『V』? 大丈夫なのこの人? ……私がひとりだからって、バカにしてる?
「チョーよくなりますよ」
 うろたえる私の前で、彼は彼のバッグに手を入れました。気持ち悪いって! どうしよう……
「ハイ」
 そう言って彼は、箱もリボンも無いプラスチックの小瓶と、一枚の紙を差し出してきました。
「僕がアメリカから航空便で買ってるやつを、一瓶おすそ分けです。値段は数百円ですかね」
 私は、不可解な気持ちで受け取って、日本語で書かれた紙に目をやりました。
 ……ビオチン、別名ビタミン(Vitamin)H。効能は、アレルギーの緩和、スキンケア、腸内環境の改善……
「腸が悪いといろいろ不具合が出るようですね。ちなみに生卵が好きな人は、ビオチン欠乏症になる危険性があるそうです。それから、」
 うんちくを垂れようとする彼に、私は戸惑いながら尋ねました。
「あのう……これって、もしかして私のこと労わってくれてるんですか?」
 彼は、困ったような表情で答えました。
「ぼ、僕はただ、さっさと習慣を見直してほしいだけですよ。仕事に差し支えがあったら、迷惑するじゃないですか」

 結局のところ、私は、この彼とは付き合ってはいません。ただ、今のところ、この偏屈な人からの好意だか何だかよく解らないものを、時々楽しんでいるところです。

【完】