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ヴァシル エピソード集

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+生誕



ヴァシル・ガルグという名の男が生み出されたのは、新月の直後の、細い細い月が天に浮かぶ深夜だった。
 それは最初、ただの闇の塊にすぎなかった。ある一人の少年の手の中に蠢いた小さな闇だった。
 少年はそれを生み出した。けれどそれをどうするべきなのかは迷った。闇は、少年の中に生まれたモノだった。本当なら捨てるべきなのだということはわかっていた。けれど少年はそれを捨てることなどできなかった。迷う間にもそれは少年の手に余るほどに肥大化した。
 闇は少年の手を離れ、自分の意志を持ち、成長した。闇の触手を伸ばし、周りの闇を次々と取り込んで、少年の手から這い出し、どくりと大きく脈打った。
 ぎょろりと、闇に血のように赤い目が生まれた。それが少年をまっすぐ見つめた。触手が蠢き、より集まってそれは歪な腕となり、足となった。
 少年は嗤った。それは自嘲であったはずだった。けれど、闇はその笑みに目を輝かせた。
「あ、ル、す」
 できたばかりの引きつった口元が少年の名を呼んだ。
「我ガ、主……!」
 それは歓喜だっただろう。闇の蠢きが一層激しくなる。歪な腕が肉を得て、闇の塊から這い出すように身体を作り出し、闇色の衣に包まれたヒトの形を作り出す。うごめく触手がパサリとつややかな漆黒の黒髪の一房となり、男は少年の前に跪いた。
「ああ、アルス。我が敬愛すべき主。貴方の第一の下僕たる私に何なりとおっしゃってくださいませ」
 白い肌に紅の唇を妖しく吊り上げて、男は恍惚と眼前の主人を見上げ、その一言を待つ。
 アルスと呼ばれた少年は、男に手を差し伸べた。男はその手を取り、忠誠の証となる口づけを送る。
「俺の願いを、お前は叶えてくれるか、ヴァシル? 全てを滅ぼすために……。俺のために、お前は俺に全てを捧げてくれるか?」
 ヴァシルと呼ばれた男はそれを自分の名だと認識した。全てを滅ぼす、それを何より優先するべき主の願いだと認識した。そしてその命を下されたことに、ヴァシルは心から震え、それを歓喜だと認識した。
「もちろんでございます、アルス。貴方様の願い、必ずやこの私が叶えておみせしましょう」
 その日から、世界に闇は訪れた。全てを破壊する、破壊者アルスとその眷属であるガルグの一族によって、世界は支配された。
 ヴァシルは、アルスより下された命を確実に遂行するために、ありとあらゆる手を用いた。ヴァシルはガルグの一族の長として、闇の化身たる恐怖の王として名を轟かせた。
 人類はアルスとガルグの一族によって追い詰められた。けれど、世界滅亡を目前にして、ガルグの民はその前進を止めた。
 世界は滅びることはなかった。人類は、ガルグの拠点に英雄を送り込み、ガルグの始祖たるアルスを封じた。
 ヴァシルを含めたガルグの民は世界の狭間に逃げ込んだ。人類に対抗する力も勢力も、ガルグは失った。
 ガルグが得たのは主を失った怨嗟だけ。ガルグは復讐を誓い、闇に潜伏した。



作品名:ヴァシル エピソード集 作家名:日々夜