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しょうきち
しょうきち
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花、一輪

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届かない想い


 翌朝、ひとまず鏡台に置かれていた二匹のテディベアが最初の一匹の横に並べられた。
 アンジェリークは楽しそうにテディベアの頭にハンカチで作ったターバンを巻いてブローチで留め、可愛いと言っては何度も頬ずりしていた。

 その日二人はオルヴァルに今後夫婦として添い遂げることを告げ、散々冷やかされた。
 まだ開店前だったためオルヴァルが部屋から一リットル入りのバニラアイスの箱を持ってきて柔らかく微笑む。
「ね、お祝いしよ。ホントは臨時休業にしちゃいたい気分だけどアンジェリークはダメって言うだろうからさ、ひとまずこれで……休んじゃダメだよね?」
 どうしてもサボりたいらしいオルヴァルが小首を傾げてアンジェリークに問うものの、本人が言った通りの結果となった。
 アンジェリークはくすくすと笑いながら首を横に振る。
「ダメに決まってるでしょ。でもこのお祝いは有り難くいただくわ、エスプレッソも淹れてくれる?」
 にっと口の端を上げたオルヴァルが食器を取り出して準備を始めた。
「アフォガートにしちゃう? いいよ、すぐ用意する。じゃあさ、その間にあれ持ってきてよ、レモンのジャム」
「わたしが作ったやつ?」
「うん、貰った分がもうないんだ。このアイスにかけたらすっごいハマっちゃってさぁ」
 ガーラントが寄越すレモンはいつも大量で、消費しきれないときにはジャムにして保存している。
 確かまだ大きめの瓶に入ったものがあったはず、と思い出してアンジェリークが踵を返した。
「ふふ……いいわ、今持ってくるわね」
 扉の向こうでかつかつと足音が遠ざかり、オルヴァルの視線がゆっくりとルヴァへ注がれた。
「うまくいったみたいで、安心しましたよ」
 オルヴァルの視線を真正面から受け止めて、ルヴァは小さく口角を上げる。
「あなたのお陰ですよ。本当にありがとうございます」
 だがルヴァはオルヴァルの視線に何か引っ掛かりを感じ、ここで初めて二人で会話したときのことを思い出した。
 彼はアンジェリークには聞かれたくない話をしたいときにこうやって彼女をうまく遠ざける癖があることを、ルヴァは既に知っている。
 これはまた何か言われそうだとほんの少しだけ身構えた矢先、オルヴァルが口火を切った。

「そうそう。あなたには言ってませんでしたけど、オレまた振られたんですよねー」
「……へっ?」
 オルヴァルの唐突な暴露に、ルヴァの頭の中が一瞬こんがらがった。
「先週ね、結婚してくれって言ってみたんですよ。婚期逃してる者同士だし、オレのほうが歳も近いし、これまで長く一緒にいられたんだから夫婦としてでもやっていけるって」
「…………」
 アンジェリーク本人からはそんな話は聞いていない。全くの初耳だった。
 一度きっぱり振られているにもかかわらず随分とチャレンジャーだと思いつつも、オルヴァルの次の言葉を待った。
「オレとは表向き夫婦になっておいて、あなたとは今後もこっそり恋愛関係のままで十分じゃないかって……言いました」
 オルヴァルの声は飄々とした様子だったが、会話の内容が内容なだけにどう答えたものかとルヴァは束の間考え込んだ。
「そうすれば、歳の差を気にしている彼女を守れると……もしかしてそういう算段だったんですか?」
 仮にそうなったところで、アンジェリークとルヴァが二人で行動していれば今度はそれについてとやかく言われる点についてはとっくに想定済みのはずだ。恐らくはそこを無視してでも彼女を引き留めていたい心情だったのではないかとルヴァは慮った。
「ダメもとだったんで期待してなかったんですけど、やっぱりバッサリでした。そんな、どちらにも失礼なことできないって」
「そうでしょうねえ」
 寂寞に堪えないと言った表情で頷くオルヴァルを見つめながら、自分を守るためだけに結婚をし愛人を囲うことなど彼女の頭の中にはない筋書きだろう、とルヴァは思う。
「オレはあの人を守りたいと思っているし、このまんま穏やかに暮らしていければそれでいいんですよ。あなたより深く愛せるかって言われたら、自信ないけど」
「…………」
 遊びなら金属バットで人のあばら骨を折るつもりだった者が何を言うか、と心で突っ込みを入れた。あの想いだって十分に愛と呼べる範囲ではないか。
「あの人を女性として欲しいと思ったことだってあるけど、じゃあ今、心から愛しているのかって自問しても、正直やっぱり分かんないんですよ。でも離れたくないって気持ちはあって……ほんとに仲のいい家族といるような感覚」
 もどかしそうなオルヴァルの様子に、ルヴァはなんとなく当てはまる言葉を口にしてみる。
「それはそのまま、家族愛って呼べばいいんじゃないですかねえ」
 その言葉に、それまで愁いを帯びていたオルヴァルの表情が徐々に和らいでいった。
「……そうかも知れませんね。ともかく、アンジェリークをよろしく頼みます」
 それから他愛もない会話をしていたところで外からかつかつと足音が近づいてきて、アンジェリークが荷物を抱えて戻ってきた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃったわ。はい、オルヴァルの分ねー」
 笑顔でレモンジャムの瓶を受け取り、机に置かれたもう一瓶へと視線を走らせる。
「ありがと。で、そっちのもう一個は?」
「これは今から使う分〜。で、コンポートも持って来たわ」
 オルヴァルが早速アイスを三人分の器に盛り付け始め、流れるような動きでジャムの瓶を開けてスプーンを差し込み、エスプレッソをピッチャーに注いだ。
 それらが手際よく並べられると同時にアンジェリークがフルーツのコンポート入りの瓶を開け、ウエハースやビスケットの袋を取り出して包装を破り小皿に並べていく。
 内心ではあったらいいなと思っていたものの登場に、オルヴァルが驚いてアンジェリークを見つめた。
「残ったらそのジャムも貰っていい?」
「いいわよ、まだまだあるから。ほんと好きねー」
 緩く弧を描いた翠の瞳がじっとアンジェリークを捉えた。
「うん……大好き」
 彼のこの”大好き”が指し示す対象がジャムに対してだけではないことを、ルヴァはアンジェリークの笑顔の横で感じ取っていた。

 この時点で開店まではまだ一時間以上あり、三人の和やか且つささやかな茶会が始まった。
 オルヴァルが定期的に購入しているという一リットルのバニラアイスはこの星でナンバーワンのシェアを誇る大手のもので、甘すぎるということもなく上品な味わいをしていた。彼自身はそこそこ甘党のようで、そのアイスにアンジェリーク手製のレモンジャムをたっぷりと乗せて頬張っている。アンジェリークはエスプレッソを少量かけてアフォガートにし、ルヴァは少しずつ色々な味を試していた。
 ビスケットに溶けかけのアイスを乗せながら、オルヴァルがルヴァへと声をかけた。
「ねえ、ルヴァさん」
「はい?」
「アンジェリークって、料理上手ですよねえ?」
 突然の話題に驚いてげふっと咽るアンジェリークの背をさすり、ルヴァはそれへ答えを返す。
「ええ、上手なほうだと思いますが……それがどうかしましたか」
 口に放り込んだビスケットをもぐもぐと咀嚼して、紅茶で流し込むオルヴァル。
作品名:花、一輪 作家名:しょうきち