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師匠と弟子と 11

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 わたしの名前は、和久井梨奈。大学の一年生です。この春に大学に入ったばかり。今日は皆さんにわたしの彼氏と言っても良い高梨信春こと小金亭鮎太郎の事を少し話してみようと思います。
 それは、もう六年以上前のことでした。わたしの父は小金亭遊蔵と言って少しは名の売れた噺家なんです。寄席や格式の高い落語会などにも年中出ていて、CDやDVDなんかも出しています。でも、それで売れっ子でいい暮らしをしてるかと言うとそうでも無く、恐らく同年代のサラリーマンとそう変わらないと思います。寄席のワリ(給金)は驚くほど安いし、歌と違って落語のCDやDVDはそんなに売れないし。どれぐらい売れないかと言うとDVDなどは深夜アニメの方が遥かに売れています。まあ、それでも一応生活に困るような事はありません。
 父は、噺家協会でも幹部なのですが、弟子を取らない方針でした。普通、噺家は真打になり数年経つと弟子を取るものなのです。それは、自分が育って来た落語界に対する恩返し。後継の育成を手がけるものなのです。でも父は
「俺は弟子を取るほどの噺家ではない」
 そんな事を言って、沢山来る入門志願者を断って来ました。中には父に断られて他の師匠に入門して大成した人も居ます。
 そんな父の考えを変えたのが彼、鮎太郎だったのです。

 わたしが小学校の五年生の時でした。父が高校の落語コンテストの審査員を頼まれたのです。
 本当は別な師匠が審査員になるはずでしたが、急な用事が出来て来れなくなったのです。父はその代りを頼まれたのでした。
 高校の落語のコンテストと言ってもちゃんと県単位の地方予選もあり、そこを勝ち抜いて来た人ばかりです。
 鮎太郎はそこに出場して来たのでした。結果は二回戦で負けてしまいましたが、父はその日帰って来て、わたしに
「今日、高校生の落語コンテストの審査員をやったのだが一人だけ面白いのが居たよ。二回戦で負けたけどいいものを持っていた」
 そんな事を言ったのでした。わたしとしては、父がそんな事を言うのが珍しかったので覚えていました。
 それから暫くして、その父が言っていた高校生が我が家に入門を頼みに来たのでした。父は驚いて一旦は断りましたが、彼は一週間連続で家の門をたたき続けました。さすがの父も根負けしたのか、あるいは彼の才能を認めたのか入門を許しました。
「まあ、三十人以上出ていて一人だけ俺の印象に残った奴だ、鍛えればものになるかもしれない」
 確かそんな事を言っていたと思います。こうして彼は見習いとして入門を許され、我が家に通うようになりました。高校を卒業するまでは主に土日が中心でしたが、朝早く来て家の掃除をして、父の荷物持ちをして一緒に付いて行っていたりしていました。
 父とすれば、連れ回す事により顔を見せていたのだと思います。そうやって自然に業界に馴染ませる考えだったと思います。
 そうして一年経ち、正式に前座として寄席に入る事になりました。この一年間で彼は着物の扱い方や寄席のしきたり等を覚え、太鼓や笛、三味線の稽古もしました。太鼓は他の一門の弟子の方に教わり。笛は専門の師匠に稽古に通いました。三味線は母が教えていたと思います。母は結婚前と結婚して暫くは寄席の下座をしていましたから、三味線の名取でもあったのです。ちなみに私も多少弾けます。
 寄席に上がるので正式に名前を与えられました。小金亭小あゆ。これが彼の前座名でした。何故「あゆ」なのかと言うと魚釣りが父の趣味だからです。
 それからは朝早く来て母に言われながら家の掃除をして、朝ご飯をわたし達と一緒に食べて落語の稽古をして寄席に通う毎日が始まりました。寄席の仕事が終わると、父の仕事先に向かい荷物持ちになります。我が家に帰って来るのは、もう夜遅くです。これが寄席の仕事が夜席なら帰りはもっと遅くなります。我が家に帰って来て、父の着物や荷物を片付けてから家に帰ります。恐らく家に帰るのは日付の変わる頃だったろうと思います。
 そんな暮らしを三年間してきました。本当はまる二年経った時に二つ目になる話もあったのですが、父はもう一年やらせました。その為同期とは差がついてしまいましたが
「なに、今の一年なんざすぐに取り戻せる」
 そう言って気にしませんでした。そして昨年やっと二つ目に昇進したのです。それは小ふなと言う新しい弟子を父が取ったからかも知れません。

 鮎太郎は外見はちゃんと見れば、結構イケメンです。しょうゆ顔とでも言うのでしょうか、中々の男前なんです。でも、育ちが豊かだったのか、若干ホンワリとした雰囲気が漂っています。それが男前に見えにくくしているのかも知れません。そんな様子を父は
「あいつにはフラがある」
 そんな事を言っています。実際「フラ」があると無いとでは噺家として随分違うのだそうです。
 でも鮎太郎の欠点は稽古の時に父の前では上がってしまって上手く話せ無い事です。本当はちゃんと出来るのに、尊敬して憧れの父の前では駄目なのです。だからわたしは彼の噺を極力聴くようにしています。少しでも彼が自信を付けてくれる事を願うからです。
 最初は家に父の弟子が来ると言うので興味津々でした。第一印象は近所の「お兄さん」と言う感じでした。わたしには兄弟が居なかったので、すぐに親しくなりました。でも彼はわたしが父の娘なので年下なのに敬語で接するのが妙に面白くて生意気な口を利いていたと思います。
 そんな気持ちが変わって来た事に気がついたのは、中学三年の時でした。進学先を考えていた時に都立に行くか、私立の女子校に行くか迷っていました。そんな時に相談に乗って貰ったのです。最初に彼の事を意識したのはその時だったかも知れません。
 今、やっとお互いの気持が通じてると判って心が弾んでいます。彼には上手くなって欲しいと思っています。それだけの才能のある人だと思っています。
 どうか、皆さんも街角で彼の名前を見かけたらご贔屓をお願い致します。


 寄席の書き入れ時は年間で決まっています。まず正月。これは何処の寄席でも満員になります。その次が春休みの時期ですね。その次がゴールデンウイークでこのあたりも満員になります。それから夏休み。秋のシルバーウイークも寄席は満員になります。
今年のゴールデンウイークは父が浅草の昼席のトリになりました。何時もは池袋に出ていたのですが、浅草の席亭が是非にと言うので変わったのです。
 寄席はトリの師匠の一門や縁のある噺家が多く出ます。彼、鮎太郎も二つ目ながら出る事になりました。それから真打が近いと言う事で蔵之介師のところの明日香さんも一緒です。楽しい芝居になるとわたしは思っていました。でも、まさか、あんな事が起きるとはこの時は思ってもいませんでした。
作品名:師匠と弟子と 11 作家名:まんぼう