raining
ヒサナンキが、ようやっと声を発した。
葬儀の間中、一言も発さず、涙すら流さず、無表情で彼女の棺に向かって一輪の花を放り投げ、それに土が掛けられていくのをただ、見ていた。
その姿を見た参列者の中には恋人なのに冷たい男だと陰口を叩いた輩も少なからずいた。
俺が生まれつき目つきの悪い顔を更に歪めて睨みつけると、奴らはそそくさと立ち去って行った。
やがて、彼女ナタリアの両親も帰途に着き、ヒサナンキの代わりに俺が彼らを労い、慰め、送り出したところで俺たちは二人だけになって真新しい墓の前に立ち尽くしていた。
それから暫くして、やっと奴が言葉を紡ぎ出したのだ。
からからに乾いた唇から、下手な役者の棒読みみたいな声で。
「……さぁな」
俺はネクタイを緩め、シャツのボタンを外しながら誰かの墓に腰を下ろした。葬儀の間中我慢していた煙草を取り出し、火を点けて一気に煙を肺の奥まで吸い込んだ。我ながら何処までも不謹慎だ。
ヒサナンキはまだナリシアの墓標の前に突っ立って、真新しい土と花々の匂いに包まれている。
「……僕は」
ゆっくりと話し出す。
「今まで付き合った女の子とは、別れても、また話が出来る方だった。時間が掛かることもあったけれど。相手によれば、食事も出来た」
訥々と語るヒサナンキの長い前髪が、奴の表情を俺から隠すようになびいている。
「そらぁ、お前は俺と違って修羅場くぐることなく平穏無事に付き合って、平穏無事に別れてきたからだ」
伸びをしながら軽口を叩くと、ヒサナンキが振り向いた。
ずっと隣にいたのに、久し振りに顔を見たような気がした。
悲しくて、哀しくて、泣きたくて、泣けなくて、途方に暮れた瞳が奥底で静かに動揺していた。
「わからない」
「ん?」
紫煙を吐き出す俺に向かって、絞り出すように呻いた。
「彼女を、この先一生失ったということが、わからない。まだ僕たちは別れてもいないのに、話をすることも、食事をすることも、触れることも出来ないなんて」
俺は黙って聞いていた。その間に灰になった煙草を地面に落とし、靴先で踏み消した。
「……これも、『別れる』ということだ。お前が初めて受け入れる形の」
「でも」
「もうナリシアはいない。そこを掘り返してナリシアを引っ張り出しても、もう動かないんだよ、ヒサナンキ」
逃げ場を一切遮断した俺の言葉に、ヒサナンキは喪服が汚れるのも構わず膝を落とした。
「ナリシア……」
「そういうときは、泣けばいいんだよ。誰もナリシアを忘れろなんて言ってねぇだろ。……ま、忘れるのも、一つの選択肢ではあるが」
最後の一言に、奴はぎっと俺を睨み返し、拳を地面に叩き付けた。
「忘れる訳がないだろうっ!」
「……勿論、俺もナリシアの両親や友達も、忘れないだろうさ。でも、『お別れ』なんだよ」
ぽたぽたと水滴が地面に零れ落ちた。
「ナリシア、ナリシア、ナリシア!」
やっとのことでヒサナンキは何かを理解したのだろう。喉が破れるような嗚咽が辺りに響いた。
流石に直視出来ず俺は視線を外そうと何気なく空を見上げた。
朝から曇りがちではあったが、降り出してきそうな塩梅だ。
そう思った途端、一気に降り出した。
地面に次々と落ちる雨粒は、ヒサナンキのものと混じって彼女の眠る土へ吸い込まれていく。
空も奴と同じようにナリシアとの別れに涙を堪え切れなかったのか、と俺にしては珍しく殊勝なことを思った。
俺とヒサナンキは、いつまでも冷たい涙に濡れるに任せていた。