魔王の世襲は認めません。
「聞いておられるのですか若!」
ほんの僅か、気を抜いた瞬間を逃さぬ叱責が飛んでくる。
頬杖をついていたわたしはうんざりしながら顔を上げた。
「……聞いている」
我ながら、気のない声が出た。わたしの発した音は質素な、というか粗末な空間にぼんやりと浮かんですぐに消え、その代わりに神経質な声がかぶさった。例えば、氷に刃を立てる金属音のような。
「なら、どうして!」
こちらの顔に唾を飛ばす勢いで、老魔法使いは身を乗り出した。怒りと興奮でぶるぶる震える痩身を、かつては豪奢だった縫い取りの数々も埃っぽく古ぼけた法衣に包み、身の丈程もある杖をきつく握り締めながら、
「いつまで人間どもをのさばらせておくおつもりですか! 亡きお父上は若の御年にはもう初陣を飾られ……」
「その話は聞き飽きた」
手をひらひらさせると、それが一層彼の何かを刺激したようだった。皺深い額に血管が浮き上がる。
「ではこの老いぼれが無駄死にしてしまう前に、一刻も早く立ち上がってくだされ!」
「そうは言っても」
わたしはそこで一旦言葉を置いた。
「城はまだ修繕が済んでおらぬし、軍の立て直しも万全ではないであろう。ことを急いても仕損じるだけだと思うのだが」
吐息交じりにぐるりと天井を見回す。
シャンデリアは落ち、壁にまで届くひびがあちこちに残り、ところどころ落ちた緞子は綻びたまま。
何もかもが、当時のまま、止まってしまっている。そう、目の前の魔法使いですら。
ただ、落ちたシャンデリアは早々に片付けられ、父の代わりにわたしが玉座に座し、大魔道師は年老いただけなのだ。
父はかつて「魔王」と呼ばれた存在だった。その名にふさわしく我々は魔族であるし、ここは「勇者」と死闘を繰り広げた玉座……の跡。
父が倒されたとき、まだ幼く離れの奥に身を隠されていたわたしは長じてごく当たり前のように魔王軍再建が義務付けられている。それを、かつて名を馳せた大魔道師であり、父の時代には既に現役を退いていたガリアーノ老が率先していると言っていい。彼はことあるごとに前線に立たなかった己を責め、その償いをするかのように容赦なくわたしを鍛え、早く軍を上げろと急かしているのだ。
しかしながら城の損害が甚だ大きく、十余年は経とうとしているのに内部の修繕が一向に追いつかない。仮にも魔王の居城兼魔族の総本山であるからして、規模は大きい。それを外見重視で工事を進めた結果がこれだ。加えてわたしがあまり体裁を気にしない性質なので、ここを後回しにして良いと言ったことも、急進派からは気に食わぬことであるらしい。
「この爺が、陛下の足を引っ張ってはならんとあのグレイスめに跡目を譲って隠居したのが間違いでした。あやつめ、いとも簡単に勇者の連中にやられおってからに……」
ああ、また始まった。
これが始まると、当時彼の一番弟子であり、参謀であったグレイスがこの城に攻め入った勇者に倒され、最後の砦であったギヴァルディ将軍までもが撃破され、父が敗れるところまで話は続く。父のくだりまで到達する頃には、確実にわたしの記憶が飛んでいる。
年老いた彼の時計は、残念なことに彼と時を同じくせず「あのとき」で止まってしまっている。一度現役を退いたものの、今も軍師として人間に勝てるという自信は揺るぎない。その源が何処にあるのか、わたしには見当もつかずさっぱり不思議だった。
悲観する訳ではないが、十余年前の戦いで中核をなしていた人材は全滅しており、我が方に残っているのは老人と若者だけなのだ。後のない老人が焦るのも判らぬではないが、まだまだ力及ばぬ我々若造が己の力を過信するのは良くないと、常々思っている。……いや、実際に軍議(今すぐ攻める訳でもないのに軍議というのもおかしな話だ)でも言っているのだが、慎重派の賛成を得られても多数の急進派は頷いてはくれない。ただ、わたしが魔王の一子だから渋々従っているという状態だ。
堪え切れずに各地に出兵しては負け越している魔族がいることを、どう説明してくれるというのか。それを追及するとしらばっくれる。
中間層が丸ごと欠落している状態では、年齢においても考え方においても、その差異は大きすぎるのだ。これでは采配の取りようもない。
……そも、わたしのことを「若」と呼んでいる時点で、認められていないと思うのはわたしの僻み根性であろうか。彼らにとっての「魔王」は未だに父なのだ。
「では、おぬしも老体に鞭打って出陣し、父の盾となって散るか、父の後を追えばよかったのだ」
日頃思っていることを思わず口に出し、しまった、と思ったがもう遅い。
ガリアーノは顔を真っ赤にして言葉を失っていた。
……やばい。逃げよう。
「視察に行ってくる。供は要らん」
脇に置いてあった縁なしの大きな帽子を手に立ち上がる。人間と寸分変わらぬ身体をしているとは言え、唯一の相違点である尖った耳を隠すように押し込めながらちらりと振り向いた。
「若!!」
「血圧が上がっているようだ、少し休むが良い」
……つまるところ、わたしはこの老人が苦手なのだ。
地上に出ると、太陽が容赦なく照りつける。
こんな眩しいところなど人間にくれてやり、我々はおとなしく暗く湿った地下で快適に暮らせば良いと思うのだが、こんなことは何があっても城内では口に出来ない。
どうせここに在っても夜の方が肌に合うのは皆身をもって知っている筈だ。
父は、どうしてこの地上を欲したのだろうか。
父の本意を理解せぬまま周りに押し流されて攻め入るのは間違っていると思うのだが、どうやらこの考えもおかしいようなので黙っている。
わたしの剣の師でもあったギヴァルディ将軍は、戦を離れるととても紳士然としていて、今の状況に亡き彼を無理矢理当て嵌めるとわたしと同じく慎重派に属するだろうと思う。そんな彼にわたしはガリアーノよりもなついていた。それを知っているからこそ、余計にわたしを批判するのも承知の上だ。
魔術の師であり、半ば後見役のような立場のガリアーノを嫌っている訳ではない。ただ、考え方が大幅に決定的に合わないだけで。彼は彼の基準と正義に基づき、わたしの為によかれと思って行動していることも理解している。
……若いこちらが参ってしまうのも情けない話ではあるが。
勇者を輩出し、一番の大国となったラファールの城下町をあてもなく歩く。
今尚軍隊や個人の戦士や傭兵、魔術師がいるのは我々の一派が地上に出没するからであるし、急進派のいうようにあちらから魔族を根絶やしにしようと軍備している訳ではないことが判る。……そもそも、おそらく人間は「魔王を倒したのだから大丈夫だ」と思っている節が、かなり、ある。
そして彼らにとって、敵は我々だけではない。人間同士でも争うのだ。
……このあたりは不可解だ。我々はせいぜい急進派と慎重派に分かれているだけであって、戦を起こすような事態にはならない。何故同族で争うのかは、わたしが視察(という名の息抜き)していても一向に理解出来ない。
住むところも違い、理解出来ないモノとは最初から関わり合いにならなければ良いのだ。
ほんの僅か、気を抜いた瞬間を逃さぬ叱責が飛んでくる。
頬杖をついていたわたしはうんざりしながら顔を上げた。
「……聞いている」
我ながら、気のない声が出た。わたしの発した音は質素な、というか粗末な空間にぼんやりと浮かんですぐに消え、その代わりに神経質な声がかぶさった。例えば、氷に刃を立てる金属音のような。
「なら、どうして!」
こちらの顔に唾を飛ばす勢いで、老魔法使いは身を乗り出した。怒りと興奮でぶるぶる震える痩身を、かつては豪奢だった縫い取りの数々も埃っぽく古ぼけた法衣に包み、身の丈程もある杖をきつく握り締めながら、
「いつまで人間どもをのさばらせておくおつもりですか! 亡きお父上は若の御年にはもう初陣を飾られ……」
「その話は聞き飽きた」
手をひらひらさせると、それが一層彼の何かを刺激したようだった。皺深い額に血管が浮き上がる。
「ではこの老いぼれが無駄死にしてしまう前に、一刻も早く立ち上がってくだされ!」
「そうは言っても」
わたしはそこで一旦言葉を置いた。
「城はまだ修繕が済んでおらぬし、軍の立て直しも万全ではないであろう。ことを急いても仕損じるだけだと思うのだが」
吐息交じりにぐるりと天井を見回す。
シャンデリアは落ち、壁にまで届くひびがあちこちに残り、ところどころ落ちた緞子は綻びたまま。
何もかもが、当時のまま、止まってしまっている。そう、目の前の魔法使いですら。
ただ、落ちたシャンデリアは早々に片付けられ、父の代わりにわたしが玉座に座し、大魔道師は年老いただけなのだ。
父はかつて「魔王」と呼ばれた存在だった。その名にふさわしく我々は魔族であるし、ここは「勇者」と死闘を繰り広げた玉座……の跡。
父が倒されたとき、まだ幼く離れの奥に身を隠されていたわたしは長じてごく当たり前のように魔王軍再建が義務付けられている。それを、かつて名を馳せた大魔道師であり、父の時代には既に現役を退いていたガリアーノ老が率先していると言っていい。彼はことあるごとに前線に立たなかった己を責め、その償いをするかのように容赦なくわたしを鍛え、早く軍を上げろと急かしているのだ。
しかしながら城の損害が甚だ大きく、十余年は経とうとしているのに内部の修繕が一向に追いつかない。仮にも魔王の居城兼魔族の総本山であるからして、規模は大きい。それを外見重視で工事を進めた結果がこれだ。加えてわたしがあまり体裁を気にしない性質なので、ここを後回しにして良いと言ったことも、急進派からは気に食わぬことであるらしい。
「この爺が、陛下の足を引っ張ってはならんとあのグレイスめに跡目を譲って隠居したのが間違いでした。あやつめ、いとも簡単に勇者の連中にやられおってからに……」
ああ、また始まった。
これが始まると、当時彼の一番弟子であり、参謀であったグレイスがこの城に攻め入った勇者に倒され、最後の砦であったギヴァルディ将軍までもが撃破され、父が敗れるところまで話は続く。父のくだりまで到達する頃には、確実にわたしの記憶が飛んでいる。
年老いた彼の時計は、残念なことに彼と時を同じくせず「あのとき」で止まってしまっている。一度現役を退いたものの、今も軍師として人間に勝てるという自信は揺るぎない。その源が何処にあるのか、わたしには見当もつかずさっぱり不思議だった。
悲観する訳ではないが、十余年前の戦いで中核をなしていた人材は全滅しており、我が方に残っているのは老人と若者だけなのだ。後のない老人が焦るのも判らぬではないが、まだまだ力及ばぬ我々若造が己の力を過信するのは良くないと、常々思っている。……いや、実際に軍議(今すぐ攻める訳でもないのに軍議というのもおかしな話だ)でも言っているのだが、慎重派の賛成を得られても多数の急進派は頷いてはくれない。ただ、わたしが魔王の一子だから渋々従っているという状態だ。
堪え切れずに各地に出兵しては負け越している魔族がいることを、どう説明してくれるというのか。それを追及するとしらばっくれる。
中間層が丸ごと欠落している状態では、年齢においても考え方においても、その差異は大きすぎるのだ。これでは采配の取りようもない。
……そも、わたしのことを「若」と呼んでいる時点で、認められていないと思うのはわたしの僻み根性であろうか。彼らにとっての「魔王」は未だに父なのだ。
「では、おぬしも老体に鞭打って出陣し、父の盾となって散るか、父の後を追えばよかったのだ」
日頃思っていることを思わず口に出し、しまった、と思ったがもう遅い。
ガリアーノは顔を真っ赤にして言葉を失っていた。
……やばい。逃げよう。
「視察に行ってくる。供は要らん」
脇に置いてあった縁なしの大きな帽子を手に立ち上がる。人間と寸分変わらぬ身体をしているとは言え、唯一の相違点である尖った耳を隠すように押し込めながらちらりと振り向いた。
「若!!」
「血圧が上がっているようだ、少し休むが良い」
……つまるところ、わたしはこの老人が苦手なのだ。
地上に出ると、太陽が容赦なく照りつける。
こんな眩しいところなど人間にくれてやり、我々はおとなしく暗く湿った地下で快適に暮らせば良いと思うのだが、こんなことは何があっても城内では口に出来ない。
どうせここに在っても夜の方が肌に合うのは皆身をもって知っている筈だ。
父は、どうしてこの地上を欲したのだろうか。
父の本意を理解せぬまま周りに押し流されて攻め入るのは間違っていると思うのだが、どうやらこの考えもおかしいようなので黙っている。
わたしの剣の師でもあったギヴァルディ将軍は、戦を離れるととても紳士然としていて、今の状況に亡き彼を無理矢理当て嵌めるとわたしと同じく慎重派に属するだろうと思う。そんな彼にわたしはガリアーノよりもなついていた。それを知っているからこそ、余計にわたしを批判するのも承知の上だ。
魔術の師であり、半ば後見役のような立場のガリアーノを嫌っている訳ではない。ただ、考え方が大幅に決定的に合わないだけで。彼は彼の基準と正義に基づき、わたしの為によかれと思って行動していることも理解している。
……若いこちらが参ってしまうのも情けない話ではあるが。
勇者を輩出し、一番の大国となったラファールの城下町をあてもなく歩く。
今尚軍隊や個人の戦士や傭兵、魔術師がいるのは我々の一派が地上に出没するからであるし、急進派のいうようにあちらから魔族を根絶やしにしようと軍備している訳ではないことが判る。……そもそも、おそらく人間は「魔王を倒したのだから大丈夫だ」と思っている節が、かなり、ある。
そして彼らにとって、敵は我々だけではない。人間同士でも争うのだ。
……このあたりは不可解だ。我々はせいぜい急進派と慎重派に分かれているだけであって、戦を起こすような事態にはならない。何故同族で争うのかは、わたしが視察(という名の息抜き)していても一向に理解出来ない。
住むところも違い、理解出来ないモノとは最初から関わり合いにならなければ良いのだ。
作品名:魔王の世襲は認めません。 作家名:紅染響