肉じゃが
ようやく意中の人を自宅に招くことが出来た。
自宅と言っても1DKのマンション、学生の下宿に毛の生えた程度のものだけど……。
部屋が散らかっていると気分が悪い性質なので、いつもちゃんと片付けてはいるが、今日は念を入れて片付けた、書架の本まできちんと揃えた、凸凹がないように一段ごとに本のサイズを揃えて。
念入りに掃除機をかけ、丁寧に床を拭きあげ、棚や窓枠はもちろん、カーテンレールの上まで丁寧に拭いた。
流しやガス台も顔が写るほどに磨き上げ、棚の調味料の量まできちんと揃えた。
玄関マットやクッションのカバーは洗いたて、トイレのカバーは新しい物に取り替えた。
ベッドカバーもしわ一つなく整っている。
「よし、完璧……おっといけない……」
カーテンの襞を等間隔に揃えておくのを忘れていた。
全てをもう一度チェックし、待ち合わせの駅に向かう……まだだいぶ早いのだが。
『友達』から『恋人』に変われるかどうか、今日が決戦の日なのだ、もし、向うが約束の時間より早く駅に着いたとしても待たせたくはない。
今日は手作りの夕食を振舞うことになっている、メインは『肉じゃが』。
いわずと知れた家庭料理の代名詞だ。
この一週間、肉じゃがの試作に余念がなかった。
牛肉は肩が良いのか腿が良いのか、厚さはどれくらいが適当か。
ジャガイモは男爵かメイクイーンか、大きさはどれくらいが丁度良いのか。
玉葱はどのくらいの大きさが良いのか、とろとろに煮込むべきか少し食感を残すべきか。
人参はどのように切ったら一番良いか、隠し包丁は……・。
そして肝心の味付け、鰹節はもちろん削りたてを、そしてみりんと醤油の割合は、銘柄は……。
完璧な肉じゃがが出来上がった……しかしここでちょっと思い直す。
あまりに完璧すぎて家庭的でない……ほんの少し醤油を強くし、ジャガイモを僅かに煮崩してみる。
このほうが良い……料亭の味と家庭の味は違うのだから……少しは隙があった方が家庭的な感じになる……。
駅で約束の時間より12分待たされた……早めに来た分と併せて42分……。
「ごめん、待った? 電車一本乗り遅れちゃって」
「ううん、全然、今来たところ」
「へえ、包丁の使い方とか板についてるね」
「そう?」
意中の人に手元を覗かれ、しかも褒めてもらうと、人参を刻むリズムもこころなしか弾む。
「結婚相手になる人、幸せだね」
「……」
ドキリとしてしまい、言葉が返せない。
「今度は何やってるの?」
「隠し包丁って言って、こうすると煮崩れしにくくなるし、味も沁みるんだ」
「へえ! プロみたいだね」
肉じゃがが出来上がった、昨日作り直したものと寸分違わない出来、絹さやで色どりを添えるのも忘れない……自信を持ってテーブルに並べる。
「あれ? カレーじゃなかったんだ、材料見てカレーかと思ってた」
「……肉じゃがは好きじゃない?」
「あんまり……和食ってさ、食べたぁ!って満足感がイマイチなんだよね、カレーの方が良かったな」
「ごめん……」
「ううん、良いよ……うん、これ、すごく美味しいよ、料理上手なんだね」
少し沈んでいた気分がぱっと晴れた……。
が、それも束の間。
「掃除、行き届き過ぎてない? なんか息が詰りそう」
「え? ……いつもはもう少し散らかってるんだけど……」
「そうなの? あんまり完璧だと堅苦しい感じがしない?」
「そ……そう?」
「本棚まできちんとしてるんだね……文庫は文庫の段、雑誌は雑誌の段って……」
「その方が沢山入るから……」
「だけど全部きっちりじゃない? 新しいのを買ったらもう入らないよ」
「その時は一冊処分して……」
「やっぱ、潔癖症だ……」
「そうじゃないけど、狭くてもうひとつ本棚は入らないから」
「ふぅん……それもそうかぁ……」
完璧な掃除が逆効果になるとは思ってもみなかった……でも肉じゃがは褒めてもらえたのだから……。
「日本茶でいい?」
「いいよ、なんでも」
気を取り直してお湯を沸かす、水は当然ミネラルウォーター、そして玉露に最適なお湯の温度は……そっと温度計を鉄瓶に入れる。
「それはそうとさ、灰皿、ない?」
「あ……煙草は吸わないから……」
「ああ、そうだったね」
構わずに煙草に火をつけ、空いた食器に灰を落す。
「あっ!……」
「あ、いけなかった?……やっぱ潔癖症?……」
「だって……食べ物を乗せる皿に煙草の灰なんて……」
「あたし、苦手なんだよね、そういういちいち細かい男って……ご馳走様、お料理は美味しかったよ」
彼女はさっさと帰ってしまった。
肉じゃがの皿に無造作に突き立てられた吸殻が汁を吸ってふにゃりと倒れた。
今の彼の気持ちのように……。
(終)