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御手紙 葉
御手紙 葉
novelistID. 61622
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寒いなら、一杯のコーヒーを

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夜の静けさがテラスに差し込むぼんやりとした明りをさらに薄く霞ませ、私の手元は何も見えないほど闇に沈んでいた。それだけでなく、夜気がわずかな服の隙間から入り込んで肌を切りつけてくる。
 私は背後のドアからわずかに漏れてくるジャズ・ピアノの旋律を頼りに、意識をこの世に繋ぎ留めていた。こんな寒気漂う喫茶店のテラスで、しかも眠ろうとしているのはこの世でただ一人、私だけだった。
 寒さも気にならないほど、私は眠かったのだ。毎日仕事続きで睡眠時間が取れず、どこでも構わず眠ってしまうほど疲れていた。何故テラスにいるのかと言うと、待ち合わせがこの場所だったからだ。
 もう約束の時間からかなり過ぎている。三時に待ち合わせて、もう五時で辺りは真っ暗だった。一体彼女はどこで何をしているのだろう。
 そこで背後のドアが開き、足音が近づいてきた。私は加代子が来たのかと思って振り返った。
 でも、そこに立っていたのはこの喫茶店の店員だった。その女性は背中で揺れるストレートの髪をふわりと浮き上がらせ、私の前へと近づいてくると、「大丈夫ですか? 寒くありませんか?」と言った。
 私は正直に「寒いです」と言った。
「中でお待ちいただいた方がいいと思います……風邪を引いてしまいますので」
「でも、ここで待ち合わせたんです」
 私は苦笑して言った。
「テラスを閉める時間が近づいていますし、中でブレンドコーヒーでもいかがですか?」
 私は俊巡した後、「わかりました」とうなずいた。
 掌でしっかりと握り締めていた小さな箱をコートのポケットへ滑り込ませ、鞄を受け取った。
 中へと入ると、たくさんの人々の声で溢れていて、明るい照明の下、木製のテーブルや椅子が狭い店内に詰め込まれていた。おそらく彼女がテラスを選んだのは、ゆっくりと二人で話したかった為だろう。
 角の席に案内されて座ると、その店員の女性が間もなくブレンドコーヒーを運んできた。
「すみません。気を遣わせてしまって」
「いいんですよ。こういう時に飲むコーヒーが一番最高に美味しいんです」
 彼女はそう言って、カップの中の水面を少しも揺らがせず、すっとテーブルに置いた。そして一礼し、去っていった。
 私は寒さで震えていた手を伸ばし、カップをつかんだ。ゆっくりとそれを口に含む。
 とにかく甘いコーヒーだった。いや、砂糖などは一切入っていないのだけれど、舌にすんなりと馴染む飲みやすさで、その苦みさえも甘く感じてしまう……比喩ではなくとても甘い、おいしいコーヒーだった。
 私は腕時計をちらりと見て、確認した。五時四十分。
 彼女はやはり、私の想いを受け取らなかったのだ。そう思うと、苦笑が漏れてしまった。
 けれど、そこであのきびきびした足音がこちらに近づいてきた。見ると、先ほどの女性店員だった。手にカップを持っている。お代わりをサービスしてくれるのか、と私は驚いたけれど、彼女はただ黙礼し、それを私の向かい側に置いた。
 そして、去っていく。どうして誰もいない席にコーヒーが置かれたのかと私は呆然としていたが、そこでカランと小気味良い音が鳴って誰かが入ってきた。
 私は振り向き――そして、胸が跳ね上がった。
 加代子が息を切らせて駆け寄ってきたのだ。
「遅れてごめんなさい!」
 彼女はそう言って席に座った。その顔は不安げで私を恐る恐る見つめてくる。
「こんなに、遅れてしまって、私……」
「いや、いいんだ。それより、そのコーヒー、飲むといいよ」
 私はふっと笑い、そのカップを指し示した。彼女は潤んだ目をカップに向けてうなずき、手に取った。
 そっと口紅が載った唇を開き、コーヒーを流し込む。すると、彼女が目を見開く。
「こういう時に飲むコーヒーが一番最高に美味しいんだってさ」
 私が微笑むと、彼女は心からほっとしたような笑みを浮かべた。
「ええ、本当に。不安だった時に、優しい言葉をもらえて、その温かさが肌に染みるものね」
 彼女はそう言って一輪のバラのように微笑んだ。私はうなずき、ポケットに入れていたその箱を取り出す。そうして言った。


「結婚して下さい」


 その女性店員が何故加代子の分を置いたのか、今でもわからないけれど、きっとただ私と彼女のことを想って置いてくれたのだと思う。
 それが今でも消えない温かみとなって私の心に残っている。
 心から寒いと感じた時、一杯のコーヒーを淹れてみて下さい。
 そうすれば、とりあえずはほっと暖かくなります。
 あの女性店員はそう言っている気がした。