師匠と弟子と 5
高座は緞帳が降りて会場は休憩時間になった。最初は十分だったが俺の噺が少し短かったのと、師匠の噺も予定より早く終わったので都合二十分の休憩となった。会場のロビーでは後援会の皆さんが師匠のCDを売っているはずだ。本当は俺も手伝うはずだったが、師匠に呼ばれので青木さんが
「ロビーは良いから楽屋に行った方が良いよ」
そう言ってくれたので、礼を言ってそのまま師匠の楽屋に向った。
楽屋の入り口には師匠の名を染めた暖簾が掛かっていた。それをくぐって頭を下げて
「鮎太郎参りました」
声を掛けると頭の上から
「入れ」
師匠の声が聴こえた。
中に入らせて貰うと師匠は、お茶子さんに手伝って貰って着替えていた。後半では別な着物を着るからだ。俺はお茶子さんに
「俺がやりますから。すいません」
そう言って変わって貰った。帯を畳み用意された着物掛けに掛ける。師匠は襦袢姿のまま椅子に座ってペットボトルのお茶を飲みそれから
「お前、失敗したと考えているんだろう?」
師匠は静かに話し出した。俺の態度や表情で判ったのだろう。
「はい、師匠の顔に泥を塗ってしまいました」
畳の上に座って頭を下げると
「何勘違いしてるんだ。俺はお前に泥なんて塗られていないぞ」
え、そんな訳はないと思っていると
「あのなあ、今日のお客は俺の客なんだ。俺の噺を年に二回聴きに来ている人ばかりだ。東京だって寄席に年二回来る人なんてそうは居ないだろう?」
「は、はい」
「だから耳が肥えているんだよ。お前は俺の弟子だけど、実力はまだまだ天と地ほどに違う。だから誰もお前に笑わせて貰おうなんて考えていないんだよ」
師匠は美味そうにお茶を飲み干した。
「じゃあ俺は……」
呆然としている俺に師匠は
「あのな、噺って言う奴はな、己の了見が出るもんなんだ。話してる奴が心の卑しい奴かどうかが判るんだ。亡くなった五代目小さん師は『心邪(よこしま)なる者は噺家になるべからず』と言っていたぐらいだ」
「じゃあ、お客さんは俺自身の了見を見ていたのですか?」
「ああ、だから下がる時にも拍手が多かっただろう。最初の拍手は期待の拍手。下がる時の拍手はお前にお対する今後の期待の拍手なんだ。判ったか」
俺は、この時本当に師匠の弟子になって良かったと心の底から思うのだった。
自分の楽屋に戻ると置いていたスマホが鳴り出した。誰からだろうと見ると何と梨奈ちゃんからだった。
「はい、鮎太郎ですが」
『もう休憩かなと思って電話したんだ。どうだった? 青森のお客さんて耳が肥えてるからウケなかったからと言ってがっかりしちゃ駄目だよ』
梨奈ちゃんはお見通しだった。
「うん。ありがとう!」
『でもきっと鮎太郎の事見て、きっと気に入ってくれていると思うよ』
「うん、そうだと良いけどね」
『大丈夫! 元気だして!』
「ありがとう。お土産買って帰るね。色々あるけど帰ったら報告するから」
『うん楽しみにしてるね』
梨奈ちゃんはそう言って通話を切った。なんて事だ。親の師匠と同じ了見だったなんて……。
俺なら心配はしてもメールは兎も角、電話は出来ないと思った。それだけの勇気が湧かない。だから梨奈ちゃんの心使いが嬉しかった。俺の事をそこまで心配してくれる……。そんな人を持てた事が本当に嬉しかった。
気がつくと仲入りが終わり後半の始まるベルが鳴っていた。後半は後半でやることもある。俺は心を入れ替えて望むのだった。