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罪の意識

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 薄明かりの中、甘い余韻と気怠さの中にあるまどろみに抱かれて、思わず眠ってしまいそうな意識の中、彼の言葉が耳に入る。

「もう遅いから泊まって行けば? 家に帰っても誰も居ないのだろう。無人の家に帰るのは味気ないものだよ」

 それを耳にして今までの甘い余韻が潮が引くように覚めて行く。

『帰らねば……』

 そう思ったのは自分に罪の意識があるからだろうか?

「帰る……」

「このままで良いのに。明日の朝帰っても同じじゃないか」

 彼の言う通りにしてもやる事はある。シャワーも浴びたいし、それに、このままなら恐らく先程と同じ事を繰り返すだろう。そうなれば、いよいよ今夜のうちには帰られなくなる。

「やっぱり帰る。シャワー浴びて来るわね」

 ベッドから抜け出しタオル掛けに掛かっているバスタオルを手にして浴室に入った。ガラス張りのドアの向こうから彼のつまらなさそうな声が聞こえた。

「仕方ないな。いつもそうだ。急に変わるんだから……明後日にならないと旦那帰って来ないんだろう」

 判っていない……毎度の事だがこの人も何も判っていない。違うのだ。誰かが居るから帰るのでは無い。誰も居なくても、あそこはわたしの家なのだ。名義上は夫のものだが、本当のあの家の主はわたしなのだ。だから、帰えるのだ。おんなとはそういうもの……。

 彼が入れ替わりで浴室に消えると扉の向こうから

「送って行くよ。それぐらい良いだろう?」

 シャワーを浴びる音に被さって声が聞こえる。そうして貰えれば助かる。終電近くの電車の車内は混んでいて、わたしにとっては楽ではないからだ。


「ありがとう」

 家の前で彼の運転する車から降りると礼を言って家の中に入ろうとする。と後ろから

「次は?」

「また連絡する」

「判った。じゃ」

 車のアクセルを踏む音がして爆音と共に走り去って行くと、わたしは静かに歩き出す。本当の家はもう十分ほど歩いた所にある。名前もこの仮の家の表札と名前から取っただけ。本名ではない。

 一時の火遊びに身を投じるのだ。そんなに簡単にプライバシーをさらけ出しはしない。関係が終われば携帯のキャリアを番号ごと変えるだけ。それでお終い。それだけで、わたしは彼から永遠に謎の存在になる。今までこうやって過ごして来たのだ。今回も同じ……。

 誰も後を付けて来ないのを確認して、本当の家に向かって歩き出す。家に入る時も一応確認する。大丈夫、安心して家に入る。

 玄関の脇にある電話の「留守電」のボタンが赤く光っている。押して再生すると

『一件の録音があります。再生します……あたし翠、留守みたいだからまた電話するね……再生を終わります』

 高校時代からの友人からだった。夫からだと思っていたが、そうではなかった。少しほっとした瞬間電話が鳴り出した。

「もしもし、若井ですが……」

 電話の主は海外に出張に行っている夫だった。向こうの時間なら午後七時頃だろうか。

「今日は電話無いからもう寝ようと思っていたのよ」

 夫は電話が遅くなった詫びを言ってくれた

「明後日、帰って来るんでしょう。楽しみに待っているわね」

 その後、他愛のない話をして電話を置いた。彼とは高校時代からの付き合いだ。卒業しても交際は続き、そのまま結婚した。その間には勿論色々とあった。彼はわたしが知らないと思っているらしいが、一時は浮気をした。そして知ったのだ。それまでは単にわたしは世間というものを知らなかっただけだと言う事を……。

 彼が他の女性と話をしているだけで湧き出る嫉妬も、自分だけを愛してくれると信じる傲慢も、際限なく彼を求めてしまうわたし自身の強欲も……。

 すっかり変わった本当のわたしを見て、彼はどう思うだろう。幻滅するだろうか、かつて恋した高校時代の少女はもう居ないと判った時、彼は変わるだろうか?

 表面的には今の所彼は受け入れてくれている。

『大丈夫』

 そう信じる反面、この不安は消えない。消えることはない。私は未だ知らないのだ。怖くて聞くことなどできない。

 彼の本当の気持ちなど……。

 ベッドに横になり目を瞑り怯えながら今夜も夜が更けて行く。

 気持ちを紛らわせる為に考える。あすは誰に抱かれようかと……。



                                                    <了>
作品名:罪の意識 作家名:まんぼう