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紫陽花

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[身の上話]



村里離れた、山深い谷の戸
ひび割れ、剥げる樹皮を纏う杉の木が亭亭と御空を掩う
薄い陽射しが射す、仄暗い森の中

教育所か、全うな躾すら受けていない
それ等を望める環境ではない

朝な夕な畑仕事に力仕事、自給自足の生活
小柄だが、筋骨隆隆とした男の体躯がそれを物語っている

森の暮らしは、不易だ
年老いた血続きのない、夫婦との暮らし
延延と繰り返す昨日という今日、明日という今日

だが、それは古手刑事の勝手な推察だ

春には、生命の息吹の目覚めを
夏には、生命の頗(すこぶ)る輝きを
秋には、生命の仄かな熱(ほと)りを
冬には、生命の終焉の眠りを

森森の森が織り成す
四季の情景に、男は自足していた

---なんて美しいんだ

僅かな光で、僅かな水で、生命は幾度となく息吹く

生きるから、死ぬ
死ぬから、生きる

滾(たぎ)る生と、凍てる死は表裏一体なのだ

---なんて生命は美しいんだ
---俺の命もきっと、美しいモノに違いない

男は、焦れる若手刑事の前で誇らかにその顔を綻びる
目の玉に映し出される光景は、故郷のそれなのだろう
喩(たとえ)不本意に連れて来られたとしても、唯一無二の故郷なのだろう

森の暮らしも
老夫婦が生きている間は良かった
贅はないが、必要最低限の生活は調えられていた
それでこそ男は、畑仕事や力仕事に精が出る

歪な家族関係は、各各の役割を果たす事で均衡を保つ
だが、崩れる
老夫婦の寿命が尽きる事により、森の暮らしは破綻する

男に「意思」があれば、生きていけただろう
森の暮らしを続ける事ができただろう

それは、働き手に必要ない
それは、寧ろ邪魔だ

そう老夫婦が思い至り
幼い少年の意思を奪い取る事等、容易かったに違いない

森を出るしか、山を下りるしかなかった
荒れ果てる小屋を前に、枯れ果てる畑を前にそうするしかなかった
そうして何日も何週間も何か月も彷徨い歩く

人里で生きる術を知らない男は滑稽な程、無様だった
気に掛ける者はいない
気に留める者はいない

軈(やが)て、一人きり呑み込む

---俺の命は、美しくない

迷い込んだ、御伽(おどぎ)の国のような街並み
多彩な屋根や壁の家家、庭木や芝の深緑色が優しく映える

柵に掛かる、蜘蛛の巣が身に纏う
雨滴の一粒一粒が、真珠のように光輝く
仰向く、雨上りの空は紺瑠璃がどこまでも澄み渡る

鳥の綻びが聞こえる
何処(どこ)で鳴いているのか姿は見えない

仲間を探すような
仲間を求めるような
唄うように囀(さえず)る、その鳴き声は心を擽る

愛する、誰かを探すように
愛される、誰かを求めるように

---ああ、そうか
---生命が美しいのは、愛の証しだからだ

---醜い俺も、誰かに愛されれば
  美しい生命を得られるかも知れない

作品名:紫陽花 作家名:七星瓢虫