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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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プロローグ


 呪われた島がある。

 〈翡翠海(ひすいかい)〉に浮かぶ絶海の孤島──その名は〈嵐の島〉。
 かつては重罪人の流刑地だった。
 周囲を絶壁に囲まれたその島は、容易に上陸を許さない。
 およそ二百年前、〈嵐の島〉に逃げこんだ巨神(きょしん)の信徒を滅ぼしたあと、〈統合教会〉の錬時術師(れんじじゅつし)たちはこの島の時間の流れを完全に凍結した。
 以来、島は凍てついた灰色の霧に包まれ、水平線上に浮かぶ半球形の影が、沖合を進む船の上からぼんやりと見えるのみである。
 新大陸の東海岸に住む人々は恐怖をこめて、その島をこう呼ぶ。
 魔の島──と。

 いきなり扉を乱暴に押し開け、ズカズカと足音荒く船室に踏みこんできたのは、この船の船長だった。
 寝台に浅く腰かけていた青年はおもむろにおもてを上げ、突き刺すような船長の視線を正面から受け止めた。怪訝(けげん)な面持ちで船長を見返す。
 荒くれ者ばかりの船員を束ねるだけあって、船長は凶悪な面相の大男だった。年齢は五十歳前後だろうか。左眼の下から顎の先まで赤くただれた傷痕がのたくっている。船長自身の言を信じるならば、まだ駆けだしの甲板員だったころに海賊と戦って負った傷らしい。
 もっとも、あこぎな密輸を生業(なりわい)としているこの船だって実態は海賊と大差ない。そんな船だからこそ、カネさえ払えば誰でも──青年のように素生(すじょう)の知れない人間でも乗せてくれるのだ。
 船長は室内を見回し、腹を空かした肉食獣そっくりの低いうなり声を洩らした。
「女はどこへ行った?」
 青年は答えない。感情を宿さない、透徹した灰緑色の瞳で船長を見つめている。柔らかそうな金褐色の髪は新大陸の南方五王国の住人にありふれた特徴だったが、あたかも岩から削りだしたかのような、顎の張った鋭角的な容貌は、丸みを帯びた柔和な顔立ちの多い南方人にあまり似つかわしくなかった。
「おい、女はどこへ行ったと訊いてるんだ!」
 船長が声を荒げる。青年の面前までツカツカと歩み寄って、斜め上から彼の顔をのぞきこむ。
 船長の臭い息が青年の顔をなぶる。青年は不快そうな素振りも見せず、うろんな目つきで船長を見上げる。
 青年の分厚い唇の端がわずかに持ちあがり、苦笑とも嘲笑ともつかない微妙な表情を浮き彫りにする。
 コケにされたと思った船長は、顔を真っ赤にして激昂した。青年の胸倉を鷲づかみにして、強引に寝台から立たせる。青年の鼻に自分の鼻をこすりつけ、船長は彼の身体を手荒く揺さぶった。
「きさま、いい気になるなよ! きさまといっしょだった女はどこだ!」
「……外の様子を見に行ってるだけですよ。ほら、戻ってきました」
 青年はノロノロと右手を動かして、船長の背後を指さした。船長が肩越しに振り向くのと、三人の男──船長の部下の船員が戸口をふさぐように現れたのがほぼ同時だった。
 船員たちはひとりの女を連れてきていた。
 若い女だった。「女」ではなく、「少女」と形容してもいいぐらいの年齢だ。
 青年のそれよりも色の淡い金褐色の長い髪を背中に垂らし、新大陸ではあまり見かけない、けぶるような紫色の瞳で冷然と男たちをながめている。
 船長がフンと鼻を鳴らす。青年も少女も、着ている服は赤錆色(あかさびいろ)に染色した麻織物の上衣に腰着と、いかにも交易商人のような出で立ちだったが、言葉の端々(はしばし)に現れる微妙なアクセントの違いはごまかしきれていない。
 こいつらは南方五王国の貴族か、さもなければ〈統合教会〉の有爵僧(ゆうしゃくそう)だ、と船長は踏んでいたが、どうやらその推測は的中していたようだ。
 船員のひとりが少女の背中をドンと突き飛ばす。バランスを崩した少女はたたらを踏み、足をもつれさせ、青年のすぐ横に両手と両膝をついてへたりこんだ。
 三人の船員が戸口からどく。その隙間からひとりの男がうっそりと進みでる。
 まるで鮮血で染めたような深紅の装束に身を包んだ老人だった。
 頭髪はなく、落ちくぼんだ眼窩(がんか)の底の血走った眼がギョロリと動いて、青年と少女を射抜く。ひからびた額には赤と青の染料で、正方形をふたつ組み合わせた八芒星(はちぼうせい)──最高位の僧官であることを示すシンボル──が描かれていた。
 船長は青年の胸倉を放し、老人に向かって慇懃(いんぎん)に頭を下げた。
「こいつがお探しの逃亡者です、至爵猊下(ししゃくげいか)」
 船長から至爵と呼びかけられた老人がしわがれた声で笑った。笑うと黄ばんだ歯の列が室内を照らす蛍光樹の青白い灯りにぬめった。
 青年が落ち着きはらった物腰で老人に声をかける。
「おひさしぶりです、ヨオウ先生。わざわざ海を渡って、ここまで私を追いかけてきたのですか?」
 老人──ヨオウの笑い声がピタリと止まる。しおらしく頭を下げる青年をねめつけた。座りこんでいた少女が立ちあがり、服に着いたほこりを払うと、青年と同じく老人に向かってうやうやしくこうべを垂れる。
「……なにが目的だ、ターロン?」
 ヨオウが鋭く問いつめる。ターロンと呼ばれた青年は頭を下げたまま、言葉を発しようとしない。ヨオウがいまいましげに舌打ちする。
「なんのために〈嵐の島〉へ向かってる? わが問いに答えよ、ターロン!」
「〈嵐の島〉だと?」
 船長が呆然とつぶやく。破格の代金と引き換えに〈乱鴉(らんあ)の塔〉の港町で船に乗せたこの青年と少女は、行き先を〈払暁(ふつぎょう)の島〉だと告げていた。〈統合教会〉の寺院とわずかばかりの集落があるだけのその小さな島は、権力闘争に敗れた貴族や破門された僧官の逃げこむ最後の避難場所としてつとに悪名高い。このふたりもおそらく、そうした逃亡者なのだろう、と船長は思っていたのだが、真相は少し違うようだ。
「バカな。死ぬ気か?」
「そうかもしれぬな」
 船長の言葉にヨオウが相槌を打つ。ターロンはあいかわらず押し黙っている。少女も口を開こうとしなかった。うつむいたまま、じっとしている。
「答えよ、ターロン。返答によっては容赦せぬ」
「容赦せぬ、ですか。五人の僧兵を殺した私にまだ情状酌量の余地があるとでも?」
 ターロンはうっすらと微笑む。
「申し訳ありませんが、わが師匠といえどもお答えできません。このままお帰りください」
「カミア!」
 ヨオウが少女に向かって一喝する。
「おぬしもか? おぬしもこやつといっしょに〈嵐の島〉に渡るつもりか?」
 ヨオウから矛先を向けられた少女──カミアはゆっくりと顔を起こし、物静かな口調で老人の問いかけに応じた。
「はい、ヨオウ先生。先生のお許しをいただこうとは思っていません。もとより覚悟はできております。わたしはなにがあってもターロンさまに従うつもりでおります」
「……おのれ、ふたりとも血迷ったか」
 ヨオウが歯ぎしりする。さっきからヨオウとターロンとのやりとりを傍観していた船長に、老人はいらただしげな濁声(だみごえ)を投げつけた。
「おぬし、死にたくなければそこをのけ!」
 船長は「ヒッ!」と短い悲鳴をあげ、あわてて戸口のそばまで後退する。戸口に立っていた三人の船員が船長の巨体に突き飛ばされて、ぶざまに尻餅をついた。