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紅装のドリームスイーパー

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「きみたちを傷つけることができるのは夢魔とヤツの手下の尖兵だけだ。ここで葵と戦ってもマナを多少使うだけだよ」
 と、横合いから、ルウ。荒れ果てたコンクリートの床にペタンと尻をつき、あたしと葵を等分にながめる。完全に観戦モードだ。
 あたしは葵の顔色をうかがう。いつもはおっとりとした美少女なのに、いまの葵は、家のなかでゴキブリを発見した女子高校生みたいに殺気だっていた。全身から発揮する闘気(オーラ)が目に見えるかのようだ。
 あたしはため息をひとつ。ドリームブレイカーを正眼にかまえ、葵と正対する。
 開始の合図はなかった。葵がその外見からも想像もつかない、鋭い裂帛(れっぱく)の気合を発する。
「断(ダン)!」
 葵が間合いに踏みこんでくる。速い。斬夢刀の銀色の刀身がスッと伸びる。
 ドリームブレイカーの凍てついた刃が斬夢刀の刃を受け止める。紫色の火花が散った。想像していたよりも剣圧が重い。押された。
 いったい、葵の華奢な身体のどこにこれほどのパワーが秘められていたのだろうか──力を抜くとたちまち圧倒されそうだった。
 力の拮抗する鍔(つば)ぜりあいになった。刃がきしむ。ドリームブレイカーの刀身に白い蒸気がまといつく。
 交差した刃の向こうで葵が微笑んでいた。余裕の笑み。まだ本気を出していない。
「思っていた以上です。芽衣、あなたのドリームスイーパーとしての能力はわたしよりも上ですね。現実世界でも格闘技をたしなんでいたんですか?」
「まさか。あたしが現実世界では男だからじゃないの?」
「男女の差はここでは無意味ですよ」
 葵が力任せに剣を押し返す。離れた。巫女装束の白衣が軽やかにひるがえる。
 すかさず、葵が中段から剣をなぎ払う。あたしは身体を左に流して葵の剣撃を避ける。あたしが繰りだした刺突を葵は難なく払いのけ、返す刀で斜め上段から斬りかかってくる。
「斬(ザン)!」
 ドリームブレイカーで斬撃を受け止める。肩が壊れそうなほどの衝撃。あたかも焼けた鉄を水で冷やしたかのように、ドリームブレイカーの半透明の刀身から蒸気が勢いよく噴出する。あたしの顔から数センチのところで斬夢刀の切っ先がわなないていた。
「葵……」
「はい、なんでしょう?」
 さきほどよりは余裕を失った声で葵が応える。斬夢刀の青銀色の刃が見る見る凍りついていく。いや、凍結しているわけではない。真っ白な錆びに浸食されている──そう表現したほうがより正確だった。
 葵の顔に焦燥感がにじむ。とっさに飛びのき、あたしと距離を置く。たちまち、斬夢刀の白い曇りが晴れていく。葵は眉の片方をグッと持ちあげた。
「葵はなんでドリームスイーパーになろうと思ったの?」
「わたしですか?」
 葵は口許に苦笑をちらつかせる。熱をはらんだ風が不意に吹きつけてきて、巫女装束の少女の長い黒髪を散らす。複雑な感情の色をたたえた漆黒の双眸が、あたしをまっすぐに見つめた。
「悪夢から守りたいひとがいたからです。あなたもそうなんじゃないんですか、芽衣?」
「そうね。あたしにも守りたいひとがいる」
「守ってあげてください、そのひとを。わたしには……もうできませんから」
「え?」
 それはどういうこと、と訊こうとして……言葉が凍りつく。
 感じた。ねっとりとして冷たい、肌に突き刺さるような邪気を。平面的なモノトーンの空の、その向こう側から墜ちてくる。
 葵がハッとする。空を振り仰ぎ、険しい表情を浮かべる。あたしと葵の対決を見物していたルウがあわてて尻をあげ、葵の視線のさきを追う。縦長の瞳孔がキュッと細められた。
「来るな、ヤツが」
 ヤツ──夢魔だ。あたしは奥歯を喰いしばる。そうでもしないと、押し寄せる圧倒的な妖気に思わず悲鳴をあげてしまいそうだった。
 空が、裂けた。
 傷口からあふれでる鮮血のように、ぱっくりと開いた裂け目からどす黒い液体が大量にこぼれ落ちてくる。物干し台で揺れていた洗濯物が、粘性の高い黒い液体を浴びて真っ黒に染まる。煮詰めたコールタールのようなそれが、干してあった衣類を内側に巻きこんでふくらみ、凝固して、立ちあがる。
 あたしはドリームブレイカーを消し、もう一度、夢砕銃を呼びだす。視野の端で、葵が武器を斬夢刀から破夢弓に持ちかえる。夢砕銃の銃口をドロドロとした黒いかたまりに向ける。
「芽衣!」
 葵が矢を放つ。矢が命中すると、黒いかたまりがまとめて消滅する。洗濯物をたらふく喰らった黒い山がブルブルと震えた。そのさまは、さながら絶え間ない拷問に身悶える傷だらけの虜囚のようにも思えた。
「撃って! 撃って、撃って、撃ちまくってください!」
「言われなくてもそうするわよ!」
 影が動きだすのを待たずに、夢砕銃を続けざまに撃った。
「雷弾(ライダン)!」
 金色の射線が吸いこまれ、黒いかたまりをごっそりと蒸発させる。まだ手加減のできないあたしの銃弾のほうが、葵の放つ矢よりも攻撃力が大きいが、その分、消耗も激しい。五発も撃つと、夢のなかにもかかわらずめまいがしてきた。
 ルウが四肢を突っ張り、警告の叫び声をあげる。
 秒針がひと回りもしないうちに、殺風景な屋上は百体以上の尖兵で足の踏み場もなくなった。まがりなりにも人間のかたちをした真っ黒な人影が、ギクシャクとした機械じみた動作で歩きだし、物干し台を蹴倒して、狭い範囲でひしめきあう。
 と、急速に影が色づいていく。それと同時に影の輪郭が伸縮した。
 あたしは唖然とする。トリガーを引きしぼる指から力が抜けた。
 さっきまで真っ黒だった人影に自然な色とかたちが備わり、手足をすっきりと伸ばしてこちらに悠然と歩み寄ってくる。
 みんな、知っている顔だった。
 翔馬がかよっている城南高校の一年生と教師たち。
 先頭に立っているのは、現実世界のあたし──新城翔馬の模造品(レプリカント)だった。
 翔馬の両眼が動いてあたしをとらえる。生気のない唇が横に広がり、絶対零度の冷笑を浮かべた。
 翔馬の隣に肩を並べて歩いているのは森啓太の模造品(レプリカント)だ。メガネのブリッジを右手の中指で押しあげ、憤怒の形相を浮かべる。
 翔馬や森と横一列に並んで手足を動かしている模造品(レプリカント)の群れ──同じクラスの男子生徒に女子生徒、ミニスカートがなまめかしい英語担当の若い女性教師、教え子と結婚したらしい数学担当の男性教師、校長に教頭、保健室の神崎先生。学校の生徒や教師以外の人間もいた。なかには見知らない人間もいたが、花鈴の両親──父親の顔はかろうじて憶えていた──と中学校までいっしょだったかつてのクラスメイトは見分けがついた。
 そして、糸川大樹。泥に汚れた野球のユニフォームを着て、左手には使いこんだグローブをはめている。表情はない。ガラス玉のような眼があたしを無感動に見つめている。
「破(ハ)!」
 葵が矢を射る。森の額に矢が喰いこんだ。森が消える。口汚い怒声を残して。
「芽衣! なにをしてるんですか!」
 葵が大声を張りあげる。
 次の矢が神崎先生の喉をつらぬいた。神崎先生が寂しそうに微笑む。消えた。
 あたしは身動きできなかった。銃口が下がる。