冬のうた
みんな寝静まっていて、物音ひとつしない。身動きひとつで、すべてが壊れそうだ。季節は冬で、たぶんまだ、秋のしっぽを踏んづけている。感情も感覚も夜の底深く沈んで、そこからゆっくりとくびをもたげて、世界を見渡しているような、そんな夜だった。
開け放たれたままだったカーテンから見えるのは、月のささやきでもなく、星のざわめきでもなかった。一面をおおう雲、雲、そして雲。夜はこんなにも明るく、私はとてつもなく大きな秘密に初めて触れた。
窓を開けると、凛とした冷たさが一呼吸おいて流れ込む。その渦巻きがわたしには見える。
顔を出し、冬の空気を迎えると、鼻先や頬から冬が始まる。血の通いが思い出させる自分。やがて自分の輪郭がきっぱりと夜空に浮かぶ。
冬が肺の奥まで運ばれ、全身へ溶け出すころ、長い間忘れていた遠い日の滑り台や、一面のれんげ畑や、緑色のワンピース、ありとあらゆるわたしのかけらが、ひらりと色づき、また消えていく。
吐息の白さに溶け出したものは、良くも悪くも二度と取り戻すことのできないものらしかった。それは、時間であり、ゆらぎであり、決心だった。手当たり次第に身につけ、無防備に捨て散らかしていたあの頃のわたしには、考えもおよばない喪失の波。当然、そういうものだ。良くも悪くもそういうものだろう。
あなたはどう思うだろう。
星の距離ほど遠くなってしまった、あなたは。
さらに深く息を吸う。そして思うのだ、あなたのことを。
今、あなたのことを想いながら、冬の日の空を見上げている。
雲が一面に立ち込める冬空を、これまで何度も見上げてきた。冷徹と包容を同じだけ含んだ空。分厚く波打ちながら、地平線の存在をおびやかす、圧倒的なまでの重み。その波の切れ間からは、薄く、本当に薄く陽が透けていて、それはうっとりと、蜂蜜のように溶け出す。淡いエネルギー。ゆるゆると地表を目指し、はかなく途絶えるような。
風が強く、木々は揺れている。三両続きの夢の乗り物の白い影が、右から左へ走る。行き先の決まっている幸せと憂い。左から右へ、そしてまた、右から左へ。
夜は星が横切るころ、切ない別れを思い、新しい日に向かう。冬の光は優しく微笑みかける。時に、その優しさが苦しい冬の朝。それは、めぐりくるもの。ありとあらゆる感情を明快におさめた青。幼い日、そのきっぱりとした明るさが、それゆえの哀しさが好きだった。(その時にはまだ、感情に名前はつけられなかったけれど)公園の枝の先を見つめる。新しい魂の芽吹きまでの、爽快なまでの喪失。地の底から湧く心のふくらみが、まっすぐに冬の空をさし、そして、何かの生まれる音が響き始める。
幾度となく色を変え、様を変え、雪を降らせ、雷が光る。明けては暮れ、暮れては明ける。時が経ち、あなたの匂いが白く夜空に溶けても、この場所とともに冬空はある。
あの頃のわたしに見つからなかった空が今見えるように、あなたにも新しい空が限りなく広がっていますように。
冬の空を見上げるのが好きだ。
あなたを想うことに似ているからだ。