小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
ふしじろ もひと
ふしじろ もひと
novelistID. 59768
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

『遥かなる海辺より』第2章:ルヴァーンの手紙

INDEX|3ページ/11ページ|

次のページ前のページ
 

その2



 ルードの村が見えたとき、季節はすでに夏を迎えていた。北国に生まれ育った私には、天頂から振りそそぐ痛いほどの日差しは体験したことがないものだったが、海の色の鮮やかさもそれまで想像すらしたことのないものだった。冬ともなれば流氷に埋め尽くされる曇り空の下の鈍色をした故郷の海と、青空の色をさらに深めた紺碧のこの南の海が、同じ水でつながっているとはとても思えなかった。暗鬱な北の海のほうが神秘的なものを秘めるにはふさわしく思えるほどで、そのことは旅の間ずっと私を脅かせてきた、人魚の歌がもしなかったらとの不安をむしろかきたてさえしたのだった。
 やがて村に近づくにつれ、私は奇妙な感覚を覚えた。空気の色が違うとでもいうのか、あたりにうっすらとヴェールがかかったように影がたちこめている感じで、それが心にしみ込んで憂いに染められてゆくような、なんともいえぬ心地だった。
 村人たちの顔は沈んでいた。気のせいかと思ったが、そうではなかった。彼らの瞳に私の心を染める影と同じものを見い出したとき、思わず身震いが出た。人魚に会いにきたことを告げると、彼らは私を村長のところへ連れていった。


 村長はアギという名の、村で最年長という老人だった。その目にも影が宿っていたが、枯れた体から気力を振り絞るように私を見据えた。影を突き抜ける眼光に、私は思わずたじろいだ。
「遠来の方よ。なにを求めてこられた。我らが守り神にいかなる祈りを捧げるおつもりか?」
 か細い声だった。にもかかわらず、なにか有無をいわせぬ響きがあった。心を見透かされるような居心地の悪さだった。人魚にまつわる秘密を知るためにきたといって許される雰囲気とは思えなかったので、私は当たり障りのない答のつもりで、長寿と繁栄を願いにきたといった。
 そのとたん村長がかっと目を見開いた。思わずのけぞった私の体に、背後の村人たちが一斉に掴みかかり押さえ込んだ。そして口々にののしった。
「漁らぬ民よ。獣を食らう者よ。我らが小さき神に嘆きをもたらしにきたか!」
 驚いた私は本当のことを白状した。自分が音楽家であり、人魚の歌を聴きたいばかりに北の果ての国からこの地を訪れたことを必死に説明した。

 村人たちが私から離れた。老いたる村長は目を閉じてしばらく考え込んでいたが、村人の一人に楽器を持ってくるよう命じた。そして届けられた一本の笛を私に差し出した。
「吹いてみられよ」
 なにがなんだかわからぬままに、私は言われたとおりその笛を吹いた。心は大いに乱れていたが、長年にわたった研鑚が調べに乱れが顕れるのを防いでくれた。村長アギはじっと耳を傾けていたが、やがてうなづいた。
「確かに嘘ではないようじゃ。先程はすまぬことをした。我らも難渋しておったでな」
 村長に勧められ、私は彼の正面の席に座った。差し出された器の甘い水はヤシの実から取れたということだった。人心地ついた私に、老いたる村長は問わず語りに話し始めた。
「この頃はすっかり内陸の者どもにも噂が広まってしもうての。潮や魚のこととは無縁のことまで願かけにくる輩が後をたたぬ。じゃが一月前にきた男が先のそなたと同じ願いをかけたことで、小さき神は憂いに閉ざされ、我らも漁にすら満足に出れぬ仕儀となったのじゃ。
 そなたは村の誰よりも優れた楽士。お願いじゃ。小さき神を慰め、その憂いを晴らしては下さらぬか。たいしたもてなしはできぬが、望むだけ村にお泊めいたすでな」

 思いがけぬ事の運びに面食らっていた私にとって、村長の話はわからないことだらけだった。そもそもなぜそんなことが人魚の憂いにつながるのか。
 その問いかけに答えようとした村長の顔に、だが奇妙な表情が浮かんだ。そのまなざしはどこか遥かなところに向けられ、老いしなびた顔に仄かな光が差したように見えた。口を閉ざした彼はしばし瞑目したが、やがてこういった。
「……直接語らう方がよかろう。小さき神が心開けば、おのずと知れようほどに」
 もう一つの、なにより私が知りたかった問いについての答えも落胆を禁じ得ないものだった。二百年前にこの村に棲みついて以来、人魚が歌ったことはなかったと村長アギは断言したのだ。