擬態蟲 下巻
13 福田善一の独白
【擬態蟲】13 福田善一の独白
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Adagio from Spartacus ( Aram Khachaturian )
絹代さんはその名のとおり、絹のような肌理の細かい美しい肌を僕の前で晒した。
満月の白い光に照らされ浮かび上がるしなやかな肢体の美しさに、僕は立ちすくむだけで。
表情も変えず僕に白く長い腕を廻し抱きついて、雪のように白いのに絹代さんの体躯は
熱く火照っていた。その意外さに、驚きながら。
絹代さんのまるで人形のような端整な顔が近づき、真っ黒な瞳が、近づいて。
互いの鼓動が高鳴るのを感じて、次に何が起こるのか・・。
背中に圧し掛かる背徳感と込み上げる様な劣情が胸を締め付けて。
近づく絹代さんの薄く整った口元に。
接吻。
頭の中は渦巻く混乱から一転し、空白となった。
絹代さんの肌のように。
愛おしい絹代さんとこうして触れ合っている充足感は、親方への背徳感を押しのけ僕は絹代さんの腰に腕を廻して、力強く抱きしめた。
絹代さんのすべすべした背中に掌を滑らせて。
するとパリパリと、なにか卵が殻が割れるような音がして掌に異物が当たったので驚いて、思わず身をよけると、絹代さんは身を仰け反らせると一瞬苦痛の表情を浮かべた。
次の瞬間、まるで昆虫のような羽が背中から起き上がり、徐々に月光を受けて半透明の大きな羽が広がった。
あぁ、なんという美しさ。
やはり絹代さんは天が使わしたひとだったのだ。
再び絹代さんが近寄り抱擁と接吻を繰り返し、時が満ちた。
絹代さんの成すがまま僕は地面に横たわり、
艶やかな妖しげな美しさを放つ絹代さんが僕と繋がって。
あぁ、絹代さんと繋がっているのだ。
絹代さんとひとつになっているのだ。
真っ白な月光に照らされたまるで少女のような無垢な白い肌ながら
艶めかしくも卑猥な動きで、僕を導くように。
僕の体重をかけないようにまるで宙に浮いたような・・
細かに半透明の羽を震わせて、しかし徐々に体の火照りが伝わるのだろうか半透明なまま薄桃色に変色していく。
僕は、あまりの驚きの連続、そして身体的な快楽を更に求めるように、誰に教わったものでなく、愛するものを求めるがゆえに・・いうなれば業なのか・・知らぬ間に絹代さんを求めて腰を地面から突き上げていた。
すると上から覆いかぶさるように絹代さんの体が僕の上に乗り、
互いの唾液塗れの接吻を繰り返し、共に荒い息遣いを感じながら、僕は魂を放出した。果たして魂が抜けたのかは解からないが、少なくとも暫くの間、僕は絹代さんに魂を吸い取られていたように白い光を放つ満月を見ていた。
絹代さんは、優しく僕を見下ろすと体を密着させてきた。
なんと愛いひとなのか。
そう思ったときだった。
パリパリという音が全身に広がり、美しい絹代さんの額にもひびが入り長い美しい黒髪がバサリと僕の顔の上に落ちた。
我に返り、いったいなにが起こったのか・・と身を翻すと。
絹代さんの身体がパリパリと割れて、巨大な蛾があたまを出した・・。
巨大な複眼で僕を見ながら真横に割れる口を思い切り広げて、一声甲高い声を上げる。
いったい・・なんなんだ!
僕ははだかのまま、しかし動かぬ体を転がしてその場から離れようとしたがぼんやりとした体が横に倒れてしまった。
触覚を震わせ、節足を震わせ、細かに大きな羽を震わせているこの巨大な蛾が絹代さんだというのか・・。
恐怖と戦慄の狭間の中で混乱していたが、次第に脳細胞の神経組織が回復してくるにつれなんとか理論的に、いやなんとかして理性的に振舞おうとして錯乱する混沌たる我が脳味噌を納得させるような可能性という名の大法螺を考えるのに精一杯だった。
その結論は、他愛なくも馬鹿馬鹿しいと思えるほどのものであったが、その状況では他にまったく疑う余地の無いものだったように思へる。
繭だったのだ。絹代さんはこの大きな白い蛾が成長するための繭だったのだ。成長するために、人間の男の魂が必要だったのだ。
腰を抜かしていた僕だったが、しかしそう思えば、この巨大な蛾が愛おしく思えてきた。
この月光に照らされた巨大な白い蛾が。
絹代さんだった・・繭を払いのけて。
触れてみようと、手を伸ばすと、白い蛾は大きく羽ばたき、強い風を吹かせた。あまりの突風で僕は土蔵の壁まで吹き飛ばされてしまった。
土埃がやみ、目を細めて開けると、白い巨大な蛾は宙に留まって僕を見下ろしていた。そのとき心のどこかで、さよなら・・と声がして、別れのときなのだ、と悟った。