ラーメン食べたい
目黒区自由が丘にあるラーメン万八は、濃厚だが口当たりの良いスープの味とサブカルチャー的な店の雰囲気が話題を呼んで、今や押しも押されぬ人気店である。メインはとんこつベースの濃口醤油ラーメンで、あとは季節によってサブメニューが追加される。昨今の流れを受け、この店でも麺の固さから分量さらには小麦粉のブランドまでを細かく指定でき、またトッピングのメニューも百を越えている。そのため初めておとずれた客などは、注文の仕かたに戸惑うこともしばしばであった。
「えーと、吉田製粉の太麺を使って茹でかたは固め、スープは濃いめにしてください。ネギとシナチクは増量で。あとトッピングは、えーと、チャーシューと、ゆでたまごと、海苔と、えーと、えーと、それから小ライスもください」
このように頼むのは野暮とされ、生粋の「マンパッチャー」たちからは白い目で見られる。
ではどうすれば良いかというと、注文方法にはある種の洗練された符丁があって、例えばシナチクなら「マー」、ナルトは「ナ」、ニンニクは「ガリ」、トッピングの増量は「ヴォー」、麺を増量したいときには「オーメン」と言えばいい。
上記の例だと、「ヨシコナ カタ コイ ギー マー ヴォー トン デ トラ ショーラ」となり、このような呪文めいたオーダーを躊躇なく言えることがマンパッチャーとしての矜持でもあった。
さてあるときフランチェスコ修道会より、ピエールという神父が東京の司教区へ派遣されてきた。彼は片言の日本語しかあやつれないが、なんとかしてこの国の文化になじもうと日々努力していた。そんなおり手にしたのが「東京食べ歩きマップ」である。ちょうど巻頭特集ではラーメン万八のことが取りあげられており、ローマにありてはローマ人のごとくが座右の銘である彼としては、さっそく食べに行ってみる気になったのである。
例によって店は盛況で、順番待ちの客で長い列ができていた。そこへ聖書をさげた黒服の紅毛人が加わったので、周囲のひとたちは驚きと好奇の目をもってこれを見守った。やがて順番のまわってきたピエール神父だが、席へ着いたもののどうしていいかわからず店内をキョロキョロと見まわした。てっきり給仕がオーダーを取りにくるものと思っていたが、カウンターのおやじはこちらへは見向きもせず、アルバイトの店員も注文をききにくる様子はない。隣りの客に尋ねてみようかとも思ったが、一心不乱にラーメンをすすっており、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。
さてどうしたものかと途方に暮れていると、建設作業員ふうの男が入ってきて、イスへ腰かけるなりこう言った。
「ニ ゼツ トラ エラ」
シイタケの甘煮、牛タン、海苔、カスべのトッピングを注文したわけだが、どういう加減かピエール神父の耳にはこのように聞こえた。
ニ ジェ トー ラ エ ラー
これはラテン語で
Genitori Genitoque Laus et jubilatio
つまり「父と子に、大いなる賛美と賛歌があらんことを」という祈りの言葉になる。
ピエール神父は感動した。日本には古来多神教的な土壌があって、キリスト教は受け入れられにくいのだとミラノにいる同僚から聞かされていた。しかしこのような大衆食堂にあってさえ祈りを忘れない熱心なクリスチャンがいるではないか。ひょっとするとこの国には、表立って教会へは行かないものの、胸に確固たる信仰を秘めた潜在的なクリスチャンがあまたいるのでは……。
そんなことをぼんやり考えているところへ、さらに別の客が入っていた。
「らっしゃいっ」
その客は、おしぼりで手を拭きながら慣れた感じでこう言った。
「アベコナ デ リ ビー」
これは一応説明しておくと、阿部製粉の小麦粉をつかった縮れ麺で、トッピングにはゆでたまごと里芋の煮付け、さらに生ビールの中ジョッキを注文したわけだが、例によってピエール神父にはこんなふうに聞こえてしまった。
ア ヴェー コ ナー デー リー ヴィ
Ave verum Corpus natum de Maria Virgine
日本語に訳すと、
「ああ、処女マリアより生まれし、めでたき、真実のみ身体よ」
ピエール神父は胸がうち震えるほどの感動をおぼえた。と同時にこの店では、オーダーを言うまえに必ずこのように祈りを捧げる習慣があるのだと悟った。
「お客さんはどうされます?」
いつまでも注文しない客にしびれを切らし、店員が声をかけてきた。ピエール神父は決然として胸にロザリオをあてがうと、店員の目をじっと見つめ、もう片ほうの手で十字を切りながら言った。
「レ デ イ ヴォー エ」
Regnu Dei intra vos est
(神の国は、あなたがたの内にあるのですっ!)
数分後、レンコンとゆでたまごとイクラが大量に乗ったエビ天丼が出てきた。