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治療をしない名医

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【掌編】治療をしない名医

 うちの先生は、治療をしない。

 ここ数年、日本では原因不明の病気が蔓延している。

 頭痛、吐き気、倦怠感、不眠に始まり、急な高熱、不規則に繰り返す激しい痛み、突然意識を失うなど、人によって症状は様々だ。しかしすべての患者に共通することがある。

 一切の薬が効かず、検査をしてもどこにも異状が見つからないことだ。

 5年前に最初の患者が発見されて以来、この病気はじわじわと広がっている。今では日本の人口の約7%がこの病気を患っているらしい。私の同級生にもひとり、この病気で仕事を続けられなくなった子がいるらしい(人づてに聞いた話だけど)。

 そんな風に日本を悩ませる謎の病気を、薬も手術もせずに治すと評判の名医がいる。

 うちの病院の先生だ。

 先生は、一切の治療をしない。聴診器すら使わない。

 先生はただ、ゆったりと診察室の椅子に座って、静かに患者さんの目を見ている。

 やさしい笑顔を浮かべて、ときどき少し前のめりになりながら、じっと患者さんの話を聞いている。

 患者さんは皆、どこかで先生の評判を聞きつけてきた人たちだ。たいていは家族に付き添われてうちの病院にやってくる。

 だけど先生は、家族を診察室に入れない。必ず患者さんひとりだけで診察する。不満そうな家族をなだめて別室に連れていくのは、私たちスタッフの仕事だ。

 先生は、一切の治療をしない。聴診器すら使わない。

 なのに、なぜか病気は治る。

 診察室を出た患者さんたちは、皆一様に少し姿勢がよくなり、明るい顔をして帰っていく。診察室に入る前と後でまったく様子が違う。不満気に待っていた家族が驚くほどだ。私もだいぶ慣れたとはいえ、いまだに「この人、こんな元気な人だったっけ?」と驚くことがある。

 うちの病院を2回受診する人はいても、3回来る人はいない。本当に治っているらしい。

 先生はじっと話を聞いているだけで、何の治療もしていないのに。

 ある日、私はとうとう我慢ができなくなった。その日最後の患者さんが診察室を出た後で、思い切って先生に聞いてみた。

「先生。先生は何の治療もしていない。ただ患者さんの話を聞いているだけです。なのにどうして、病気が治るんですか?」

 先生はやさしい笑みを少しだけ深くして、私に椅子をすすめた。

「まあ、そこにかけてください」

 私はすすめられるまま診察用の丸椅子に腰を下ろした。先生と目が合った。

「私は何の治療もしていない。なのに、どうして病気が治るのか、という質問でしたね」

「ええ」

 そうだ。ずっとそれが気になっていた。

「それはね、僕がただ患者さんの話を聞いているからなんです」

「……? どういうことですか?」

 私の怪訝な表情を見て、先生は「やれやれ」という感じに笑った。先生にしては珍しい表情だ。

「人間という生き物はね、誰かに話を聞いてもらわないと病気になるんです。だけど、今の時代はみんな忙しくて、誰も話を聞いてくれない」

「……」

「話を聞いてもらえなくて病気になった人には、どんな薬も手術も意味がないんですよ。骨折した人に目薬を処方しても、意味がないでしょう? それと同じです」

「じゃあどうすればいいんですか? どんな治療も無意味なら、治しようがないじゃないですか」

「どんな治療も無意味なのではありません。薬や手術が無意味なだけです。治すのは簡単ですよ。『ただじっと、話を聞いてあげればいい』んです。話を聞いてもらえないことが原因なんだから、それを取り除いてあげればいい。これが唯一の治療法なんですよ」

「……」

 いや、確かに、そうかもしれないけど。それで原因不明の病気が治るか? 非科学的じゃないか? いやでも、確かにうちに来た患者さんは治っているわけで……いやいやそうは言っても……。

 私が口をパクパクさせていると、先生はいつものやさしい眼をしてから、おもむろに立ち上がった。白衣を脱いで…あ、そうか。今日の診察はもう終わったのか。

 手際よく帰り支度を済ませた先生は、ドアに手をかけたところで私を振り返って言った。

「いやあ、今日はありがとうございました。あなたが話を聞いてくれなかったら、私もそろそろ病気になるところでしたよ」

(了)
作品名:治療をしない名医 作家名:シーモ