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小さなトルネード

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〈日付は九月十七日、時刻は午後十一時五十六分をまわったところ。間もなく曜日が変わります……〉


ドジャーブルーのユニフォームに身を包み、捻じ切れんばかりに捻った身体から剛速球を投げ込む背番号十六。

ズバン!! ミットに吸い込まれた白球が乾いた音をスタジアムに響かせる。


〈ストライク! これでツーエンドツー、九回ツーアウトまでノーヒット……もちろんノーラン。去年のマルティネスに続いてのノーヒッターまで、後アウトカウントひとつ……〉


小さく首を横に振るピッチャー。そして、大きくゆっくりと頷いてから竜巻を起こす準備を始める。

ズドン!! 伝家の宝刀フォークのあまりの落差にメジャー屈指の好打者バークスのバットは大きく空を切った。


〈空振り三振スリーアウトー! ノーヒットノーラン達成! 野茂英雄ーーーー!!〉



               *



「ねえ父さん、野茂ってそんなに凄かったの?」

「おいおい、 凄かったどころじゃないって。メジャーで二度のノーヒッターだぞ、陽平も同じピッチャーならわかるだろ?」

「ふーん、やっぱそうなんだぁー。何だかピンと来ないや」


今日は地元にあるクラブチーム主催の野球教室に参加する為、小学六年生になる長男が所属するスポ少野球部を送迎中だ。

そのクラブチームとは『NOMOベースボールクラブ』

あの日米で大活躍した野茂英雄が設立した社会人野球チームである。

NOMOベースボールクラブの野球教室は、地元の野球少年たちを招待して年に一度行われていた。そして今年、念願かなって息子達『城咲フェニックス』が選ばれたというわけだ。

オーナーである野茂英雄もやってくるので、現役時代を知らない子供達よりも我々保護者の方が浮き足立ち、この日が来るのを心待ちにしていた。


私は昔からスポーツ、特に球技に分類されるものが大の苦手だった。野球は勿論のこと、バスケ、テニス、卓球、バレー。学生時代から体育の授業で皆が経験するメジャーな球技は全く体に合わなかった。

それだけではない、ボーリングやゴルフといった趣味や娯楽として楽しめるはずのスポーツさえ、ボールを扱うというファクターが加わるだけで途端に体が拒否反応を起こしてしまうのだ。

私は考えた。キャッチボールの相手もまともにしてやれない不甲斐ない父親に、いったい何ができるのかを。

すると、答えは簡単に監督の口から放たれた。


「河原さん、審判講習受けてくれません?」

「え? 私が審判……ですか?」

「あぁー、といっても球審は連盟の方がいますから大丈夫なんです。問題は公式戦も割り当てがある塁審なんですけど、他に頼める方がいなくって」


ルールを熟知して試合中のあらゆるジャッジの決定権がある球審と違い、比較的責任の軽い少年野球の塁審は、殆どの場合各チームの保護者がボランティアで協力していた。


「分かりました。私、男河原、審判になります!」

「ハハ…よかったー。よろしくお願いしますね」


あれから四年、運動音痴で気の小さな私でも、少しは息子の役に立てるように塁審道を精進してきたつもりだ。

ハウツー本でルールを勉強しながら、練習試合からゆっくりと経験を積ませて貰った。

一塁審、二塁審、三累審、スコア係と、その日の連盟からの指示で様々に勤めてきたが、最終的に一番自分に合っていると感じたのが三塁審だった。

他の審判員に比べて、明らかに一試合ごとのジャッジ回数が少ないのだ。何度も言うが、気の小さな私にとってフィールド内での居心地の良さこそが最優先なのである。


例えば一塁審。まだコントロールの定まらない少年野球においては、ヒットだけではなくフォアボールでの出塁機会が圧倒的に多い。そしてその度に、まだ肩の弱いキャッチャーの隙をついてランナーは盗塁を試みるのだ。


両膝を踏ん張って、ボールとランナーの動きを注視する。

ピッチャー牽制! 


「セーフ!」


両足を肩幅に広げて手の甲を上にし、胸元から水平に両の手を広げる。この時フィールドに舞い降りた一羽のスワンのように自信に満ち満ちていればなお良し。

おっと、ここでまたピッチャーの牽制! リードを大きく取り過ぎていたランナーは戻りきれていない。


「アウトーーー!」


よく勘違いされがちだが、goodになってしまうのでこの時塁審は親指を立てない。しっかりと握りこぶしを作り天空に突き上げる。

だが……。


「えーーー!」

「おいおい! よく見ろよー!」


ムキになり大声をあげる監督、容赦なく罵声を飛ばす保護者達ギャラリー。

一塁手がボールをポロリしていたのだ。少年野球では、送球がキャッチできることを決して当たり前に思ってはならない。


「セ、セーフ……」


ジャッジを即座に覆す時の情けなさったらない。本当は皆な大して塁審になど注目していないのだが、この時ばかりは逃げ出したくなる。


(結論①! 毎回確実に仕事がある一塁審はダメだ。その分ミスする可能性も高まるし、心臓に悪い)


では二塁審はどうか?


実はさらなるメンタルを要求されることになる。何故ならば球審を含めて四人いる審判員の中で、プレイボール時から唯一選手と共にフィールド内の中心に立たなければいけないからだ。

詳しい位置取りは複雑なので割愛するが、ランナー無しでややショートの後方。そして、ランナー出塁の状況により様々に位置取りを変化させていかなければならない。

両ベンチ、観客席からの視線を一身に浴びているように感じてしまう。私にとってここは針の筵に立たされているのと同じだった。

そして、よほど飛び抜けて肩の強いキャッチャーがいるチーム相手ではない限り、一塁審と同じく出るランナー出るランナー盗塁を試みてくる。自ずとジャッジの機会も増え、やはりミスの可能性も高まる。


(結論②! ダメだダメだ、忙しすぎる。それに、選手でもないのにこんなど真ん中に陣取るなんて落ち着かないにも程がある。今までの人生通り、もっと端っこがいい端っこが……)


そして、三塁審。この場所こそ、ようやく私がたどり着いたオアシスであり理想郷である。


まず、二盗に比べてキャッチャーからの距離が僅かに近い三盗を決めるのは、それなりに足に自信のある選手に限られる。また、三塁ランナーは後一歩で得点となる大切なランナーでもある。

自然と選手の動きも慎重になり、審判にとって落ち着いてジャッジできる時間が増えるのだ。

何より小学生の打力では、三塁打はなかなか出ない。外野との距離が近く、ライトゴロアウト、センターゴロアウトが普通に起こる世界である。

なので、選手が三塁に到達してくるまでの主な三塁審の仕事といえば、打球のファールか否かの判断と球審への同調。


鋭い打球が三塁のベースラインギリギリを襲ったー! 僅かに切れてファール。

私は胸を張り、堂々と腕をYの字に掲げた。そう、YMCAヤングマンの振り付けでお馴染みの、両手を大きく頭の上で広げるあのポーズだ。
作品名:小さなトルネード 作家名:daima