ひこうき雲
今の気分では、数えるのも苦痛な缶ビールとストロング系酎ハイの群れ、そして、空になったウィスキーのペットボトル。買い置きしていたものだから2.7リットル全てを飲み干した訳ではないが、水となったロックアイスの残りが少ないことが、飲んだ量を物語る。もちろん、どれだけ飲んだのかなんて覚えていないし、録り溜めていた番組をどこまで観たのかも記憶にない。
--それにしても、なんでこんなに飲んだんだ?--
『買い物してきます』
裏返したレシート。そこに書き殴られた文字に妻の表情が重なる。そう、あの唇の色、俺の前では付けたこともない色の口紅。一瞬にして今朝のこと。昨日のことが俺の中に溢れ出す。
「いったいなんなんだ。」
自分に言い聞かせるように呟いた俺は、昨日の記憶を確かめるように寝室へ向かった。ベッド下の引き出しをゆっくりと開ける。だが、そこにあるのは地味な下着の群れだった。それでさえ、もう何年もお目に掛かってなかったが。
昨日のあの色達は俺の見間違いだったのか?
「いや、そんなはずはない。」
だから昨夜は飲んだ。したたかに飲んだ。
きっとそうだ、買い物しに行ったんじゃない。隠しにに行ったんだ。あの艶やかな色達を、あるいは捨てに行ったのか、どちらでもいい。とにかく、朝帰りしたことを俺に知られて証拠を消そうとした。証拠を消すということは、まだ別れる気がないということだけじゃない。隠したということは、あの下着を使う相手がいることを証明しているというわけだ。朝帰りに気づいた俺が、家捜しをする前に消し去っておく、消さなければいけないのが下着ということは、それを使う相手は俺じゃない。ってことだ。
「そういうことか。」
俺を拒んできたのは、多忙な俺を気遣ってのことじゃなかった。疲労の回復を考えてくれてた訳じゃなかった。過労死なんて、むしろずっと望んでいたんだろうな。
帰ろう。
俺の居場所はここじゃない。いや、もうずっと前から俺の居場所なんてここには無かったんだ。知らなかったのは俺だけだ。
俺には仕事しかない。仕事しかなかったんだ。
もうひと花咲かせてやるさ。仕事でな。
『仕事に帰ります。』
妻だった女の殴り書きの下に、今までにないぐらい丁寧に文字を綴った。