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尖閣~防人の末裔たち

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19.父と子


巡視船「ざおう」は、乗組員の休養と補給を兼ねて佐世保港に入港していた。停泊期間は2日間だった。
日立港を出港して以来、訓練に明け暮れていた乗組員達は1日交代で休暇をとることになっていたので、昇護は、事前に父親と連絡をとり、夜飲みに出掛けることにしていた。
昇護の父親である倉田 健夫は、海上自衛隊の2等海佐。一般の軍隊であれば中佐に相当する階級で、佐世保基地を母港とする護衛艦隊第13護衛隊に所属する護衛艦「いそゆき」の艦長をしている。
 昇護は、父親と佐世保駅で落ち合う約束をしていた。
巡視船「ざおう」が寄港した第7管区海上保安部は、比較的佐世保駅に近い場所にあり、「ざおう」が係留されている場所もその付近の埠頭であることを配慮した父親は、この土地に慣れない昇護のために海上保安部から徒歩で行けるほど近く、分かりやすい佐世保駅を集合場所に指定してくれていたのだった。
昇護は、帰宅を急ぐ港湾関係者で混み合う駅の港口から連絡通路を通って行った。夏の暑さと、人の熱気で通路は蒸し風呂のようだった。東口に近付き、汗ばんだ肌に吹き込む微かな外気に心地よさを感じ始めた頃、自分を呼ぶ懐かしい声に昇護は振り返った。そこには、潮焼けした顔におおらかな笑顔を見せる父、健夫の顔があった。久々に目にしたその表情に、不思議といろいろな不安が一瞬にして消え去って行き安心感が心の隅々に広がって行くのを実感した昇護は、-あぁ、俺は子供の頃、この安堵感に包まれ、守られながら成長してきたんだな-と、漠然と考えていた。自然と頬が緩むのが自分でも分かった。
「久しぶりだな。昇護。随分日に焼けたじゃないか。元気か?」
と父が周りをはばからず大声で話した。
昇護は、通りの少ない壁際に父を誘導しながら
「父さんだって、真っ黒じゃないか。俺はまだマシだよ。」
と雑踏の音に掻き消されない程度に大きな声で言った。
「一緒にするなよ。俺のは潮焼けだ。お前は「日焼け」だ。だってパイロットだろ。どうだ?ハハハ」
父は、一杯引っ掛けてきたのかと思うほど上機嫌だった。
「あっ、そういうことか、でも、俺だって一応は船乗りだからね。」
昇護は、おどけて言った。
「それもそうだな。海に空、両方だもんな。失礼失礼。」
父は、頭を軽く掻く仕草をしながら答えた。
そして、
「どれ、今日は、旨い店に連れてってやるぞ。楽しみにしてろよ。」
と父は得意気な顔で昇護の肩を軽くトンっと叩いた。
「おおっ、楽しみだな~。よろしく。」
昇護は素直に笑顔で答えた。
それにしても、随分豪快な人になったな~。というのが昇護が大人になってからの父親に対する見解だった。というよりも今思い起こせば昇護が海上保安学校を卒業し、更にパイロットになった後からというのが正解だ。自分の夢だったパイロットになって一人前として認めてくれたってことかな。そこまで想像すると、昇護はちょっとだけ照れた。昇護がパイロットになったとき、父が昇護を抱きしめて喜んだのを思い出していた。

駅から15分ほど歩いたところで、父は
「おう、ここだここだ。」
と言って、-佐世保の幸-という文字が内側の灯りで照らし出された小さな古びた看板を掲げた店の暖簾を潜ると、カラカラと軽い音を立てて引戸を開けた。
「大将こんばんは。」
父が大きな声で挨拶すると
「おっ、毎度、お疲れさんです。」
と、カウンターの奥から捻り鉢巻をした小柄な老人が元気な声で返事をした。
「こんばんは」 
と、父に続けて暖簾を潜った昇護は、店内を軽く見回した。カウンターに座敷が3つあるだけの狭い店内には、壁に隙間が無いほどの自衛隊のカレンダーや、護衛艦の写真が飾られていた。その中には、自衛官からの寄せ書きもあり、自衛官が贔屓にしている店であることが一目瞭然だった。昇護は、ここでの父の生活の一部を垣間見たような微笑ましい気分になった。
「おっ、新顔さんだね。転勤してきたのかい?よろしくね。」
と、父に大将と呼ばれたカウンターの中の老人が気さくに昇護に声を掛けた。
昇護が笑顔で会釈をすると、
「いやいや、こいつは俺の倅なんですよ。」
と父が照れ笑いしながらカウンター席に座った。昇護も隣に座る。
「おっ、そうかい。てことは、艦長の息子も海自さんかい?」
父に大将と呼ばれることから店主とみられる小柄な老人の言葉は、テンポが良く小気味良い。あっ、と昇護が口を挟もうか挟むまいか一瞬まごついたが、
「いやいや、コイツは海保なんだ。」
と、父がスムーズに言葉を継いでくれた。
店主は栓を抜いたキリンの瓶ビールとグラスを出しながら
「えっ、そうなんかい。海自の二世が海保とは、珍しいね~。艦長、あんたよく許したね~。」
店主は、長年の経験から海自(海上自衛隊)と海保(海上保安庁)の昔からの確執を知っているようだった。父は昇護のグラスにビールを注ぎ、自らのグラスにもビールを注ぐと、昇護とグラスを軽く合わせて、一口飲むと。
「まあ、俺も最初は海自に進んでくれたほうが嬉しいとは思っていたが、ほら、え~と、「何とか猿」って映画が流行っていた時期だったから、映画の人気に惑わされたのかな?って最初は渋ったんだけど、映画に関係なく昔から海保に憧れてたって話だったから、それなら本物だって思ってね。それなら親がとやかく言うのは間違いだって思ったんだ。」
店主は、感心したように深く頷きながら、
「へ~、艦長。やっぱあんた男だな~。器が広いぜ。な、息子さん、あんた親父さんに感謝しな。こんなに理解のあるネイビー(海軍)な親父さんはいないぜ。で、佐世保に転勤してきたってことかい。」
店主は、昇護の眼を覗き込むように言った。
「いや、ホント親父には感謝してるんですよ。海保にも父親が海自なんて人は珍しいんです。私は転勤ではなくて、乗っている巡視船が佐世保に寄港してるんです。」
昇護は、ビールをグイッと煽った。父のグラスをビールで満たすと。父が瓶を取り、昇護のグラスも満たしてくれた。
「船乗りさんかい。将来は船長?巡視船って~と、どこから来たの?」
と店主は、父子の信頼関係を垣間見たように笑顔で昇護を見つめる。
「いえ、私は搭載ヘリのパイロットをしてます。」
昇護は、少し照れたように小さな声で答えた。
「おおっ、それじゃあ、親父さんも止めないわけだ。だって艦長は、飛行機マニアだもんな?」
店主は、父をからかうように笑って言った。父の飛行機好きはここでも有名らしい。
「まあね、俺は目が悪くて諦めたけど、俺が言うのも親馬鹿みたいだけど大したもんだと思うよ。あ、そうだ。いつものヤツと、そうだな、昇護は、鶏の唐揚が好物だよな。うん鶏の唐揚もお願いします。今日は良いネタ入ってるかい?」
と、父は、話も途中に注文を店主に言った。どうやら自分を親馬鹿呼ばわりした父は照れているらしい。
「今日も。だろ?艦長。今日も良いネタ入ってるよ。それと唐揚ね。了解。やっぱ若い人は揚げ物だよな。任しとけ。息子さんも飛行機好きなんだね。夢を叶えるなんて、そうそうできないぜ。ホント大したもんだよ。頑張れよ。」
と、店主は顔中の皺をクシャクシャにするくらいの笑顔で言った。
作品名:尖閣~防人の末裔たち 作家名:篠塚飛樹