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かいなに擁かれて 第八章

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 その想いを母に打ち明け同意を願った。母は叩き込まれた徳寿家の妻の掟に従い、一門に鑑定を頼んだ。
〈婚姻後三年が満ちる前に男子誕生あらばこれ順風満帆なり。なれど、あらずば一族の存亡に係わる災厄これあり〉
 このことは、隆法と母以外には、誰も知る者はいなかった。
 隆法にとっては、一門の鑑定の結果などどうでもよいことだった。
 例えその結果がどうであろうと魅華への想いの前には取るに足りないことであった。がしかし願わくは、たったひとりの肉親である母に祝福して貰いたかった。
それに一旦結婚してしまえば、そんな年限など意味もなく、また当然に自然に子供も授かると魅華への想いと幸せを噛み締めることに何の憂慮も感じ無かった。事実幸せだった。
幸せを噛み締める日々は続いた。

 ――三年の時は流れた。
「あの時、オレは母に逆らえなかった。母と親子の縁を切ってでも魅華を手放すべきではなかったんだ……。すまない。ほんとうにすまなかった。出来なかったんだ出来ない理由があったんだ……。ほんとうにすまない」
「ううん。もうやめて、お願いだから。もういいの、ほんとうに。ワタシ、感謝はしても恨んでなんかはいない。もういいの。ありがとう隆法さん。だからもう何も言わないで」
 魅華は男泣きに泣きじゃくる隆法にそっとハンカチを差し出した。 魅華の涼しげな切れ長の瞳にも溢れる一条の雫が頬を伝って落ちた。


                  ※
 高柳邸の仏間に設えられていた白木の祭壇は、四十九日が過ぎると片付けられ、その上に掲げてあった正義の遺影は、仏壇の上の壁に今は妻の遺影と並んで掲げられている。仏門によると、人はこの世を去った後、魂は四十九日を生前過ごした家の棟に留まってから冥途へと旅立つらしい。魂が旅立って、仏となり墓に入り仏壇にも祀られることとなる。
 現役を引退して、歳月が過ぎたとはいえ、それでもかつては、我が国を代表する大手企業の取締役技術本部長を務め、アジアの近代建築の技術に大きく貢献し、多くの実績を遺した高柳正義の納骨の儀式としては、余りにも質素で寂しかった。
 墓標を前に読経する僧侶の背には、杏子の隣に榊裕介が佇み、その後ろにはかつての部下が二人参列しているだけで、それぞれが数珠を持ち合掌していた。
 僧侶の目配せで、遺骨が納められた墓石に向かい、杏子から焼香が始まり、裕介、そしてかつての部下へとすぐにそれも終わった。
 焼香の煙は墓標に沿って真っ直ぐに蒼い空に昇ってゆく。
 やがて読経も静まり、僧侶は数珠を手に合掌したまま皆の顔を一まわり眺めると、深々と頭を下げ、滞りなく儀式を終えたことをその身で伝えた。
 杏子をはじめ皆も深々と礼を尽くした。皆に向かい供養の言葉を短く告げると、再び深く頭を下げて僧侶は遠ざかっていった。それを機にかつての部下たちも、杏子に丁重な挨拶を残して、その場を離れて行った。
 玉砂利を踏む音が徐々に遠ざかり、やがて聞こえなくなると、裕介は内ポケットからタバコをとり、火をつけた。胸の奥深くには吸い込まずに……、それを墓標に立てた。
「お義父さん、好きだったな、タバコも酒も」
 タバコの先が僅かに燻されたように――、燃えてゆく。
 杏子と裕介は、それをしばし、見つめていた。
 やがて真っ直ぐに立った白い灰は、音もなく崩れ、前触れもなく吹いた風に舞い上がって何処へともなく消えていった。
「今日は、ほんとうにありがとう。お父さん、きっと喜んでいると思う。アナタが来てくれたから」
「いや、それは、どうかな……、今でもきっと、まだこのオレを許していないんじゃないかな。今こうやって、お墓の前で、杏子と一緒に居ることも許していないと思う」
「お父さんは、お母さんと一緒のお墓に入った今、きっと色んな話をしているんだと思う。もしかしたら、天国であのお父さんがお母さんのご機嫌を取りながら、頭を下げているかも知れないわ」
「お義母さん?」
「そう。お母さん。私が高校一年生の時に亡くなったお母さん」
「そうだったな、杏子は早くにお義母さんを亡くしていたんだったな……」
「お母さんが亡くなった時、私、お父さんを生涯赦さない。と、思ったの。お母さんの三回忌が過ぎるまで一言もお父さんと口を利かなかったわ。お父さんが憎かった訳じゃないの。だけど、最後までずっとずっと頑張り続けて、お父さんを待ち続けていたお母さんが可哀想で見ているのが悲しくって、何度も何度もお父さんに連絡を、国際電話を掛け続けたのに、結局は帰ってきてくれなかった。やっと帰ったのが、納骨の日の前日だった……」
「その話は聞いたことがある。オレが入社した年だった。当時オレは新入社員で当然にプロジェクトの内容も詳しいことは何一つ知らされるはずもなかったし、知る術も無かった。だけどそれなりの噂は耳にした。お義父さんは社の史上最大の巨大プロジェクトの推進責任者だった。あのプロジェクトは社運を掛けたものだった。そして起きたんだ。事故が。十七名がその事故で命を落とした。地上二百四十二メートルに設置された仮設足場の崩落事故だった。安全帯、高所作業の時の命綱を繋いでいた親綱も枠組み諸共、崩落したんだ。類を見ない悲惨で壮絶な事故だった」
「事故のことは、後に私も知ったわ。事故が起こる少し前だったの。お母さんが倒れて入院したのは……スキルス性の胃がんだった」
「辛かった――だろうな」
「どっちが?」
「いや、どっちでもなく、全てが同じだけ……」
「仕事って、責任って、誰が何に対して何を果たし、そして家族って、幸せって、いったい何なんだろう……。私は今も分からない」
「……、オレ、今日は、これで失礼する。杏子、疲れが出ないようにしろよ」
 杏子は何も答えずに、じっと墓石を見つめたままだった。
 杏子よりも先に立った裕介は、彼女の肩にしばし軽く手を置くと、踵を返した。
 玉砂利を踏む音が、杏子の耳朶から遠ざかりやがて聞こえなくなった。
作品名:かいなに擁かれて 第八章 作家名:ヒロ