タダ金こわい
車にはねられたっていっても体は全然へーき」
『本当に大丈夫なの? 無理してない?
事故ってどこでどうなったの? お母さんに教えて』
「大丈夫だって。医者は後遺症を心配してたけど何もないし。
それに事故のことはよく覚えてないよ」
話をさえぎるように電話を切った。
昔から俺の母親は心配性だった。
紙で指を切ろうものなら、この世の終わりレベルで騒ぐ。
「術後も問題はなさそうなので、退院して大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
医者からも退院を認められた。
ふかぶかとお辞儀をして入院費を払った。
「あ、もう受け取ってますよ」
「え? そうでした?」
長い入院生活は俺の日々の密度を薄めていた。
退院できたということで失われた日々の充実を取り戻そう。
「……とはいえ、金がないんだよなぁ」
バイト情報誌を眺めて嘆く。
仕事は長続きしないし、バイトもすぐに飽きてしまう。
別に大きな幸せが欲しいんじゃない。
ごくごく小さな小出しの幸せを頻繁に欲しいだけ。
俺のつつましやかな幸せにはそこまで金がいらない。
それなのに、仕事で課せられる負担はあまりに大きい。
「わりにあわないよなぁ……はぁ」
ため息交じりに家に帰って、何気なくポストを開けると大金が入っていた。
大金が入っていた。
「大金!?」
諭吉が束ねられているのをはじめてみた。
何度確認しても俺の家のポストに入っている。
これは……俺のものと思っていいだろう。
これをどこに届けるかの正義感よりも、
この金で引き寄せられる小出しの幸せで頭がいっぱいだ。
「よし! 今日は遊ぶぞ――!!」
思わぬ臨時収入をありがたく受け取ることに。
美味しいものを食べて、見たかった映画に行って、ちょっと高い服を買う。
身の丈に合った、小出しの幸せ。
まさに俺にぴったりだ。
「ふふ、さすがに使い切れなかったな。残った分は明日使おう」
その日はそう思っていた。
翌日ポストを開けるとまた金が入っていた。
「うおおお! なんだこれ! 魔法のポストか!」
翌日も、翌々日も欠かすことなくポストには金が入っている。
もう幸せすぎて言葉にできない。
俺は今自分の命を、100%自分の好きなことだけして生きている。
キャバクラで豪遊するとか。
競馬で大儲けするとか、世界旅行するとか。
そんな大それた幸せなんていらない。
毎日少しばかりの贅沢ができる金があるだけで人生は最高にハッピーだ。
数週間経ってもポストには金が届いていた。
さすがに気になったので親にも連絡を取ってみる。
『仕送り? しとらんしとらん。あんた働いてないやろ』
親の仕送りでもなかった。
一応、友達にも聞いてみたけど心当たりはいない。
「つか、なんでお前のポストに金入れるわけ?」
「……そうだよな」
友達がわざわざポストに金を突っ込むとかおかしすぎる。神か。
いまどき、アイドルのファンだってそんなことしない。
俺の毎日を少しだけ贅沢させるお金は、届き続ける。
ラッキーだと喜んでいたのがずっと前に感じる。
今はこの出所不明のお金が怖くなってきた。
「もしかして、ドッキリじゃないよな……?
ドッキリサプライズにしても、ネタ晴らしが遅すぎるし……」
数週間、同じことを観察するなんてドッキリで異常すぎる。
もう怖くなった俺はボランティア活動をはじめた。
そのことに友達は驚いていた。
「道の花を平気で踏みにいるような奴が慈善事業なんて……!」
「うっせ! タダでお金を手に入れるのが怖いんだよ!
良い事したから神からの報酬……とでも思わないと納得できないんだ!」
「あんなにタダで金が欲しいと言っていたのにな」
「お前、何週間もタダで受け取ってみろ! 怖いんだからな!!」
慈善事業を始めて、タダ金に意味を持たせてみた。
でもそれもその場しのぎで、届き続ける金に恐怖は肥大化していく。
「ちくしょう! 誰だよ! なんのために!! いい加減にしてくれ!
いったい俺をどうしたいんだ! 何が目的なんだ!」
実はこれは人間の心理実験で、金を渡して心がどう壊れるのか観察してるとか。
そんな映画みたいな考えに至るまで俺は追い詰められた。
生活するためには金が必要。
手元にあるのはタダで手に入れた金。
「実はこれは悪魔の金で……使った分だけ地獄を味わうとか……ひぃぃぃ!!」
このころになると、恐怖が空回りありえない発想が脳内を占めた。
夜も眠れなくなり、金を使ったことを後悔しては吐いたりしていた。
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「そんなお前が仕事とはねぇ」
同僚は俺を見てあきれていた。
「やっぱり、金が届き続けるのは限界だった。
自分で稼いだ出所のわかる金じゃないともうだめだった」
「もったいないなぁ。で、ポストの金は?
まだ届いてるんならもらっといてやるぞ?」
「ポストは溶接して届かないようにした。
金が入っていると思うと、体の震えが止まらなくなる」
「実は、お前のカルト的なファンがいて、金を送っていたりしてな。
こんなにお金を使ったのにどうして振り向いてくれないのーとか」
「そんな異常ストーカーがいてたまるか」
仕事も慣れて、自分でちゃんと稼げるようになった。
その日、家の前には知らない女が立っていた。
その瞬間、同僚と話していたことを思い出した。
「ス……ストーカー……!?」
慌てて逃げたせいで女は追ってきた。
恐怖で足がもつれて女はどんどん迫ってくる。
ああ、やっぱりあんな金受け取るんじゃなかった――。
女に捕まると俺は死を覚悟した。
「ああ、やっと捕まえました。どうしてポストを閉じたんです?
事故の後遺症で記憶喪失になった賠償金は、
毎日ポストに少しづつ入れろと言ったのはあなたじゃないですか!」