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生まなければ良かった

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『生まなければ良かった』

北風が激しく冬の日である。
高木家の広間では、母親と娘が向かいあっている。
母親は庭を背にしているが、娘のところからは庭が見える。冬になっても、なおも実をつけている柿の木も見える。さらに家を囲む松林をも見えるが、風のせいで、みな、まるで狂人の如く揺れている。
「あんたを生みたくなかった」
 母親のカオリは娘のマイに呟くように言った。
 マイは母親を見ていなかった。ただ、窓の外で揺れる柿の木の枝にしぶとくブラさかっている柿の実が気になっていた。いつ落ちるのか。それが、何か、自分の運命に暗示しているような気がしてならかったのである。
「マイ、聞いているの? あなたを生みたくなかったのよ」
 マイは微笑んだ。
 望んだ子供ではなかったことはずっと前から知っていた。たぶん、物心ついた頃から。母親はいつも距離を置こうとしていた。幼い頃、手をつなごうとしたら、その手を振りほどいた。真剣に話そうとすると、目をそらした。何もするにも、よそよそしい。そんな母親に対してあまり好きではなれず、むしろ優しくしてくれる祖母に懐いた。
「だから、決めたの。この際、何もかもきれいに洗い流そうと。だから、この家を売るの。いいわね。あなたが東京に行ったら、この家は売るわ」
マイは驚いた。
この家には、祖母とのたくさんの思い出があった。その思い出が消すというのだ。
「気は確かなの?」
「確かよ。あなたは?」とカオリは挑むような眼をむける。
相変わらず、すさまじい風が吹き荒れている。窓ガラスが神経質に揺れている。

カオリは初恋の色男を忘れずにいた。彼は無能な男であったが、女の扱いは慣れていた。カオリを少女から大人の女に変えたのも彼だった。
教育学部の教師の卵であった頃、カオリは分厚いメガネをかけ真面目そうに見えた。誰もそんな色男と付き合っているとは思わなかった。厳格な両親にも知られなかったし、告白もしなかった。なぜなら、体裁を重んじる両親が、遊び人であった彼を許すはずもなかったからである。ロミオとジュリエットの恋のように、いわば禁じられた恋。それゆえに激しく燃えた。だが、移り気の彼は、別の美しい女に恋をすると、簡単にカオリを捨てたのである。
雪の日である。彼は新しい恋人をともなって、「こいつを好きになった」と紹介した。「だから、お前とお別れだ」と言って、背を向けた。楽しそうに歩く二人の姿を、寒さに震えながら見送った。その光景は今もなおカオリの脳裏にしっかりと焼きついている。
数年後、カオリは父親が見つけてきた地元の町工場の長男と結婚した。ハンサムだったが、セックスは実に淡泊でつまらなかった。
 新婚のある夜、抱こうとする夫に向かって、
「私はあなたが好きになれないの」と夫に平然と言った。
「俺は愛している」と夫は抱いた。
 夜、犬のように、ただ射精するという目的の夫に嫌悪を覚えながらも抱かれた。同時に慈しむように抱いてくれた色男を思い出しながら、その時が過ぎるのをじっと待った。いつしか、夫を蔑むようになった。両親が死んだなら、別れようと思っていたのに、娘ができてしまった。それがマイである。マイが生まれると、夫は直ぐに他界した。
マイが大きくなるにつれ、死んだ夫に似てくるのが耐えられず、育児を放棄した。代わりに祖母がマイを育てたのである。だが、その祖母も二年前、つまり、マイが高校二年の時に他界した。母と娘の関係を祖母という存在がかろうじて繋ぎ止めていたが、その祖母が死んだとき、二人が離れていくのは、自然なことだった。
半年前、突如、彼女の前に、初恋の男が再び現れた。昔と変わらぬ、ハンサムであった。寧ろ昔よりも魅力的になっていた。
彼は、「独り身になった。また、よりを戻したい」と言うのである。さすがにカオリもあきれて断った。というのも、金蔓にしたいという魂胆が見え見えだったからである。だが、情熱的に何回も言われるうちに、気持ちが揺らいでしまった。まだ四十五歳だったカオリは女盛りで、彼の誘いに悶々としていた。
ある時、酔った拍子に、彼が、「お前の愛し方を知っている」と抱きついた。
あまりにも想定外な行動に、カオリはなす術もなく、なすままとなった。
抱いた後で、「やはり、昔と変わっていないな。男と女の愛し方を教えたのは俺だ。だがら、お前を愛せるのは、この俺以外にいない」と彼は勝ち誇ったように言った。
 カオリは操り人形になっていた。遠い昔に封印したものがよみがえった。まるで恋する乙女のように言いなりになってしまった。家を売るのも、彼の提案である。そして、二人で、暮らすマンションを手に入れる。家を売った売却益の一部は彼の懐に入る。

 マイは窓の外に目をやった。気になっていた柿の実がいつの間にか一つなっていた。その一つも落ちた。その時、マイの心の中で何かが弾けた。
家を売るという母親にどうしょうもないほどの怒りを覚えたが、その一方で、むしろ、その方が、都合が良いという考えが浮かんだのである。家が消えれば、本当に二人の間には何も無くなるから。
「これがあなたのお金よ。おばちゃんの金よ」とカオリはマイの前に通帳を差し出した。二千万の預金がある。
「自由に使いなさい。私もこの家を売って好きにするから」
好きにする。そうだ、これから、ずっと好きな男、つまり初恋の男と一緒にいられる。そう思うと、カオリの目が潤んだ。
「お母さまの好きにしたらいいわ」とマイは微笑んだ。
翌春には、マイは大学進学のために東京に出る。東京に進学することを決めたのは、母親と二人で暮らしていると息がつまりそうだったというのが、一番の理由である。
「あなたに言われなくとも、当然、好きにするわよ。実を言うと、昔、好きだった男と一緒に暮らそうと思っているの。私はあなたのお父さんを一度も愛したことはなかった」とカオリは微笑んだ。
 マイがどんな反応するか気になって、カオリはマイを見た。だが、マイは顔色を変えず、冷ややかに見ている。まるで馬鹿な女とでも言いたげに。
「あなたはもう初体験を済ませたの」とカオリは挑むように聞いた。
「たぶん、十五の時に」とマイは勝ち誇ったように言った。
「そうなの、ずいぶん、早いわね」
「あれから、五人くらいの男と付き合ったけど、男はみんな同じよ。私は男に振り回されているような、バカ女にはならない」とマイはカオリの心の中を見透かすように言った。
カオリはその視線に耐えられず、「あなたの、その目、嫌いよ」と怒った。
 時折、母親は訳も分からずヒステリックになる。それに慣れていたマイは、今回も動じることもなかった。ただ、また外に目をやった。もう風は収まっていた。柿の木は丸裸になっていた。それが妙におかしくて、マイは笑った。その笑いが自分に対するものだと勘違いしたカオリは、「やっぱり、生まなければ良かった」とカオリは毒づいた。
                      ―― 終わり―― 


作品名:生まなければ良かった 作家名:楡井英夫